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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

両親の愛情に支えられながら、
持ち前の根気強さで、艶やかな佐賀錦を織り続ける。

湯浅美奈子(ゆあさ・みなこ)

湯浅美奈子(ゆあさ・みなこ)


佐賀錦職人



障がいがあってもクリエイティブな仕事を

母・優子さん 美奈子はダウン症です。生まれたときに「ダウン症候群」と診断されました。ご存知の通り、ダウン症に薬や治療法はないのですが、さまざまな形で社会の一員として役割を担う方法はあります。障がいのある子どもは、一般的には中学校を卒業すると養護学校に行き、その後は福祉作業所に通うという道筋がほとんどでした。でも、わたくし達夫婦は、何かクリエイティブな仕事はできないものかと、ずっと考えていました。
 美奈子は小・中学校は特殊学級に通っていました。小学生のときは将来の進路について具体的なことは考えていませんでしたが、中学生になると、学校から帰ってきて何もすることがない。毎日部活動に参加するということはできませんから、どうしても時間をもてあましてしまう。そんなこともあって、家でじっくり取り組める何かがあればいいなと思うようになりました。
 中学2年生になったとき、東京の多摩にある「芸術工芸高等専修学校」の存在を知りました。織物や漆工芸、日本舞踊などの伝統工芸が学べる学校で、ダウン症や知的障がい、自閉症、学習障がい、不登校の子供たちを受け入れているんです。美奈子は中学2年生の夏休みに講習に参加して、初めて佐賀錦に出会いました。
美奈子が入った繊維科には、「佐賀錦コース」と「綴れ錦コース」があります。でも身体が小さいので、大きな織り機を足で動かす綴れ錦は難しいんですね。佐賀錦の小さな織機がちょうどいい。繊維科の佐賀錦コースで5年間学んだ後、さらに研究科に3年、全部で8年間、寮生活をしながら佐賀錦の技能を習得しました。
――佐賀錦と出会って何年になりますか。
美奈子さん 22年です。
――今織っている佐賀錦は、何になるんですか。
美奈子さん バッグです。姪の桃子の七五三のバッグと草履を作っています。3歳のお祝いのときも、私がバッグと草履を作りました。桃子は日本舞踊をやっていて、着物もよく似合います。

家族3人のコラボレーションで生まれる作品

優子さん 佐賀錦では、細く裁断した和紙を縦糸に使います。和紙は繊維が長くて丈夫なんです。縦糸にする和紙は「縦紙」といって、今織っている縦紙には純金の箔(はく)がかかっています。金の他にも、銀箔や焼箔、漆の箔がかかっているもの、また裁断も1寸(約3センチ)を35に切ってるものから80位に切ってるものまであり、縦紙のバリエーションは豊富です。
 今織っているのは、縦糸が1寸を40本に裁断した細さで、織り幅が30センチぐらいですから、縦糸は約400本。竹べらを使うのも佐賀錦の特徴の1つでして、へらの先で縦糸をすくい上げていきます。横糸に対し縦糸が上にくると金、下にくると横糸の赤になることで、金と赤の模様が浮き上がっていくんです。横糸は絹糸ですね。
――今織っているのは何という柄ですか。
美奈子さん 「花菱入り松皮菱」です。34目48段で1つの模様ができます。これの繰り返しで1枚の布が織りあがります。
優子さん かなり根気のいる仕事だと思うのですが、美奈子はそれが苦にならないようなんです。こういう根気のいる作業ですから、佐賀錦の生産は最近、ほとんどが機械化されています。本場佐賀県でも織り手が減っているそうです。
――毎日何時間ぐらい仕事をするのですか。
美奈子さん 午前中は9時半ごろから12時まで。昼ごはんを食べて休憩した後、午後は1時半から3時まで。お洗濯物を取り込んだり、お茶を飲んだりして、夕方は4時半から6時ごろまで。ときどき肩はこりますけれど、あまり疲れません。日曜日はお休みです。
――1日5時間半で、どのくらい織れるのでしょうか。
美奈子さん 模様によって違いますが、この柄だと2センチぐらい。
――織れる柄は何種類ぐらい?
美奈子さん 学校ではいろんな柄を習いましたが、今織っているのは10種類ぐらいです。同じ織り方でも、縦紙の素材や色、裁断の幅、横糸の色や太さによって、模様のイメージは違います。
――作品のデザインや何を作るかというアイディアはどうやって決めるのですか。
美奈子さん それは母がやってくれます。
優子さん 色や模様、最終的なデザインのアイディアは私が考えて、美奈子は織るのが専門です。ブローチやイヤリングのような小物は、端切れを活用しています。金や銀が入っていますから、他の織物にはない趣がありますよね。私自身が欲しいなと思うようなものに仕立てることが多いです。和服にも洋服にも合うバッグを仕立てています。お仕立てはほとんどが京都の老舗の仕立てやさんに出しています。1つ付け加えますと、織機、ヘラ、糸巻き等はすべて夫の手作りです。

毎年恒例のアートフェスティバルには常連客も

優子さん 美奈子は何かを覚えるのは、普通の人に比べると数倍かかります。日常的にもマイペースですし。学校でも最初の5年間は、先生に言われるとおりに、ひたすら織っていたようです。何とか規則正しくきれいに織れるようになってきたのは、研究科を修了する頃。私から見ると、一人前と言えないときもありますし、これからもまだまだ修業が必要だと思います。でも、一生続けていけるものですし、母親の私が言うのもなんですが、そういう技術があるということは素晴らしいことです。
――織るのが嫌になったことはありますか。
美奈子さん それはありません。
――間違えてしまうということもあるんですか。
美奈子さん それは、たまにあります。
優子さん そういうときは、ほどいて、ほどいて……。
美奈子さん 間違えるのは悔しい。今織っているような簡単な柄はほとんど間違えないのですけれど……。
――佐賀錦をやっていて良かったと思うのは、どんなとき?
美奈子さん 作品が売れたとき。「伊豆高原アートフェスティバル」に毎年、参加しています。
優子さん 1998年から毎年、ですからもう13回出展しました。作品だけ展示するのではなく、織機をもっていって会場で実演するんです。佐賀錦がどんなふうに織りあげられるのかを知っていただくためにも、実演はいいパフォーマンスになります。毎年来てくださるお客さんもいます。
美奈子さん 織っているところを見てもらって、「頑張っているね」って言われるのは嬉しいです。
優子さん おかげさまで、たくさん注文をいただいておりまして、今は注文をいただいてから3年ぐらいお待ちいただいています。
――ボランティアで佐賀錦の先生もやっていると聞きましたが。
美奈子さん 今はもうやっていません。
優子さん 障がい者の自立継続支援のために、まず指導員の方にお教えして、それを障がいのある人たちに広める計画だったのですが、短期間でマスターしてもらうのはなかなか難しいですね。指導員で織れるようになった方はいたのですが、通所者には向き不向きというのもあり短期間では無理でした。

もっと修業を積んで目指すは佐賀錦の名人

――仕事以外の楽しみは何ですか。
美奈子さん スペシャルオリンピックスでボーリングをやっています。4年前に始めました。毎週1回、日曜日に練習しています。仕事の間はじっと動かないので、運動のために始めました。練習は楽しいです。試合に出るのも好きです。ときどき仕事よりも楽しい(笑)。
優子さん 今年は、4年に1度の「スペシャルオリンピックス日本夏季大会」に静岡県代表として出場したんですよ。県大会で優勝して、代表2人のうちの1人に選ばれたんです。
――他にも趣味はありますか。
美奈子さん フルートです。5年ほど前から習っています。月に2回レッスンがあるので、毎晩、仕事が終わった後、練習します。あとは宇宙とか星に興味があって、よく天文学の本を買います。
――夢は?
美奈子さん 名人になること。
――それは、今はまだ名人でないということですか。
美奈子さん 「プロ」というだけで、名人ではない。もっと修行を続けて、織り続けて、うまくならないと……。
優子さん 注文もだいぶたまってるし、頑張って織らないといけないのよね。
――作ってみたいと思っている作品はありますか。
美奈子さん ハートのブローチとイヤリングを母に。ピンクの平織りで。ピンクのハートがいちばん好きです。
――お母さまはどんな存在ですか。
美奈子さん 大事な人。私を産んでくれたから。
優子さん ありがとう。この子が生まれた頃からを振り返ってみても、特に苦労したという記憶はないんです。美奈子は3人兄妹の真ん中で、いちばん上の息子や下の妹と比べても、「障がいがあるから大変」ということはなかったんですね。むしろ美奈子のおかげで、夫も私も人生が広がって面白かった。この子がいなかったら、全然違う人生だったかなと思います。
――美奈子さんに望むことは、どんなことですか。
優子さん やはりそれは、「一流の職人です」と言えるところまで行ってほしい。創造性を駆使する芸術家は難しいでしょうし、名人の域まで辿り着くのはムリかもしれません。でも、「障がいを乗り越えて」ということではなく、作品そのものを評価してもらえる一流の職人にはなってほしい。
美奈子さん これからも織り続けて、もっと上手になりたい。頑張ります。

取材日:2010.12



静岡県沼津市生まれ 沼津市在住


【 略 歴 】

1993芸術工芸高等専修学校 繊維科佐賀錦コース 卒業
1994初個展 開催
1997芸術工芸高等専修学校 研究科 卒業
1998~伊豆高原アートフェスティバルに出展

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