富士山麓の自然を染めの技法で表現
以前は東京の八王子で暮らしていましたが、夫の仕事の関係で富士宮に来て、30年が過ぎました。東京にいる頃に紅型の先生から染色の手ほどきを受けました。今は型絵染を主な制作とし、毎年藍の種をまいたり染色用のお茶を育てたり、草木染をしたり。この富士山麓の自然が、私のライフワークです。
草木を育ててからですと都会では難しいですね。東京にいる当時は身の回りのものをスケッチして、デザインして…。都会で制作を続けていたら、自然がテーマにはならなかったのでは、と思います。花を求めたりして、できないこともないでしょうけれど、やはり花屋さんの花と、自然の山野草や樹木とでは、全然違いますから。そう感じるのも、やはり富士山の力。富士山そのものだけでなく、山麓のいろいろな自然、そこから受ける影響はとても大きいと、私は思います。
日本にはすばらしい四季がありますね。春夏秋冬がとても豊かです。今は秋ですが、紅葉などを目にすると、このすばらしい色を、どうしたら染めで表せるだろうか、その色をできるだけ写し取りたい、という気持ちでいっぱいになります。でも富士山は荒れていきますし、ゴミの不法投棄や温暖化による植生の変化等の問題もあり、今後ずっと同じ状態であるのは難しいかもしれません。私は、染めの技法を通して、この今の富士山麓の姿を残して行きたいと思います。
作品とともに祝杯を上げるとき
そのように自然を相手に仕事をするわけですから、今でも試行錯誤の連続です。そのことに若い頃は悩みもしましたが、最近は「この色を出したかったのに、この色になってしまった」というのは失敗ではなく、一つの問題提起、そこから新たな出発ができると考えるようになりました。うまくいかない、思うようにならないからこそ面白いんです。
何の迷いも悩みもなく、すんなりできた作品は意外と魅力がないもの。よく「失敗は成功の母」と言いますよね。若い頃は、なぜうまく行かないんだろう、回り道してるんじゃないだろうかと感じることがありますが、それは力をもらっているとき、力を蓄えているとき。試されているとき、この人がいったいどこまでできるかな、と。そういう苦しみは決して無駄じゃないし、回り道じゃない。「人生には回り道はない」というのが私の現在の心境です。
私、作品を作っていて、自分の力だけじゃないと感じることがときどきあるんです。最近では、お寺の壁画を描かせていただいたときでしょうか。高さ280㌢、横220㌢の絵を2面描きましたが、壁は珪藻土で、色を吸い込んでしまう上、指跡がついているような粗い壁面でした。そこに蓮の花を描いたのですが、でこぼこの面に蓮の軸の直線を引くのには苦労しました。でもそれを完成させたとき、不思議な、自分の持っている力以上のものをいただけたような気がしました。さまざまな自然の工程を経て出来上がったものには、何かが宿ると私は思っています。そんな風に、大きな宇宙的なものが助けてくれたのかもしれません。
着物を染めて衣桁にかけて見たときも、同じように感じることがあります。そういうときは作品と一緒に祝杯を上げます。ありがとうございます、ご苦労さま、という気持ちをこめて。
物作りで生きる人への支援と理解を願う
今は布だけでなく、壁画や木といった素材にも描いたり染めたりしています。なるべく染色だけにこだわらないで、でも芯の部分だけは逸脱せず、時間を封じ込めたような作品を作っていきたいんです。
実は長男も染色家として一緒に工房を運営しているんですが、同じ染色でも私とは作風も表現方法も全然違うんです。面白いですよ。
とはいえ、今の時代、若い人が物作りで生きていくにはとても厳しい世の中だと思います。いいものを作ったからといって、即、仕事に結びつくとは限らない。昔は企業などが作家を育てるゆとりがあったけれど、今は世の中が大変な時代、そんな余力はないのかもしれません。
物作りに打ち込んでいる人に、最低限食べるだけの手助けをしてあげられないものか、と…私の一番の願いは、そこなんです。若い人が一生懸命物を作って、それで生活していけるように、願わくばなってほしい。生活できないと、結局やめてしまうでしょう。売れなければ、生活のために他のことをしないといけなくなり、家族を養うために、物作りを捨てざるを得なくなってしまう。それは悲しいし、これからの日本の物作りがとても心配です。
もし私に資金がありましたら、若い人の作品を買いたいし、物作りの人のために奨学金のような制度ができることを願っています。お金があればいい、勉強ができればいい、だけではなく、物作りに従事する人が正当に評価され、尊敬される、そういう世の中になってほしい、と私は思います。
取材日:2010.11