投げ出さず続けることを教わる
若いころ、農業をやりたいなあと思っていたので、みんなが『平凡』など読んでいるときに、私が読んでいた本は『現代農業』。私、ちょっと変わっていましたね。あるときの『現代農業』に、なんとか農業賞を受賞した松本市の有賀さんの記事が載っていました。「実習生として使ってください」と手紙を出したら、「すぐに来ていいですよ」といっていただき、22歳で仕事をやめて農業の実習にいきました。聞くと見るとでは大違いで、農業って大変だと打ちのめされました。途中で逃げ帰ろうと何度も思いましたが、そこのおじいちゃんの「いまやりとげないと、この先、どんなことがあっても挫折しちゃうよ」のひと言に、なにがなんでもやろうと、約束の半年間をつづけることができました。
1968年、24歳で山登りが好きな人と結婚しました。夫が、ヒマラヤ登山に成功して帰ってきたら「農業をやる」と言い出しました。岐阜で稚蚕を育て、さらに山奥に入って養鶏場で働いて、私は小さな子ども2人連れてタマゴの収集をしていました。そのような生活が大きく変わることになりました。「父が倒れて入院したから、帰ってくれ」と義妹から手紙が来て、1974年1月1日、芝川町(現富士宮市)の夫の実家に帰りました。
女の視点で、無農薬栽培に踏みきる
働かなくてはいけません。昔、両親が牛を飼っていた古い牛小屋が残っていたので、より狭い面積でより収益のあがるキノコを作ろうと、ヒラタケ栽培を始めることにしました。キノコは雑菌をきらうため、牛小屋全体をゴシゴシきれいに洗ったり、4カ月かけて準備をしました。
菌は目に見えないので、難しいというか、つかみにくいというか。何度もやめようと思いましたが、つかめないだけに「もうちょっといいものを作りたい」、その繰り返しですね。夫とは5年一緒にやりました。夫はすべての栽培室を消毒しました。そうすると、ビンにも作業中の私たちにも間接的に着きますね。それは農薬だからよくありませんよ。夫が亡くなり、私がやるようになってから、消毒をやめました。女の視点でみますから、消費者に安心して食べていただきたいのです。いっさい消毒をしないで、水をまくだけと徹底していますが、ただ、菌付けをするときだけ、消毒用アルコールをシュッと少しかけます。無農薬栽培は難しいですが、こだわっています。
もう1つこだわっていることがあります。いちばん初めにつけた種菌を取らないと芽がでてこないので、上部だけをかきますが、それを「菌かき」といいます。菌かきをした後、培養器に入れます。ほかの農家はそこに水を入れますが、私はいっさいやっていません。水が入ることによって水を吸ったキノコになって、まずくなってしまいます。水を入れないうちのキノコは、歯ごたえがシコシコしたおいしいキノコになります。消毒をしないので、量は半分しかできませんけど。
もうからない商売をばかみたいにやっていますが、安心安全なものを作りたい、それだけはこだわりたいと思ってやっています。
もっとたくさんの量を作らねば
何度もやめようと思いながらつづけているのは、これが私の生きがいだから!やめたら、つまらなくなるだろうなと思うと、やめられません。35年もやっていますから。
うちのヒラタケは「おいしい」と評判です。味も自信があります。だから、売れていますね。ただ、生産量が少ないのが難点。レストランやスーパーを優先して出荷すると、ここへ買いにきてくださっても品物がなくて、おことわりすることがよくあります。小売のかたを大切にしたいので、これからは、生産量を増やしてみなさんの要望に応えていきたいと思います。また、年間契約販売ももっと増やしていきたいです。
10度という培養室のなかで、無農薬にこだわって作っているキノコです。私のこだわりの味をたくさんの人に食べてもらいたいですね。
取材日:2010.10