さくや姫プロジェクト|トップページ

本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

富士山と調和した「みなとまち清水」のシンボルカラー。
色彩は、人と街を元気にする。

東惠子(ひがし・けいこ)

東惠子(ひがし・けいこ)



東海大学海洋学部 環境社会学科 教授


- WEBサイト -

Higashi Laboratory

「みなとまち清水」を地域の感性で塗り替える

「清水港・みなと色彩計画」に携わって20年になります。富士山の借景を生かした自然景観と、それに調和した人工景観の創出をめざし、コンテナクレーンの色をシンボルカラーのブルーとホワイトに塗り替え建物の色に統一感を持たせるなど、環境デザイン・色彩の観点から街づくりを進めてきました。この一連の取り組みが先日、東京新聞にも載り、東京湾の景観形成は清水港をモデルにしたい、と。なんて素晴らしいことでしょう。

 今、年々きれいになってきていますが、20年前は産業港で、紅白の煙突や無秩序な色の倉庫やコンテナ、工場が立ち並ぶ、日本の港によくある殺風景な景観でした。そんな中で一本の煙突を巡ってドラマが繰り広げられたことがありました。

 航空法の規制により、60m以上の高い構造物は紅白でなければならないと決められています。興津・袖師埠頭のコンテナクレーンは、全国で唯一紅白でなくアクアブルーとホワイトです。この背後に高い丘陵があり、その丘陵から2キロ圏内であることから、この場合は航空法が免除されました。しかし、その問題の煙突は145mもあり、航空法を解除できない高さでした。しかしそれを紅白でない色に塗り替えるには、煙突に中光度障害等を設置しなければなりません。また、景観に配慮されたエリアでなければならないという条件が付いているので市議会が景観条例の制定をしました。また中光度障害灯の設置については半径5キロ圏内の住民9割の同意書が必要でした。半径5キロといえば旧清水市の市街地ほとんどが入ります。それを、地元自治会の方々が協力して下さって、なんと1カ月で同意を取り付けています。景観って目に見えるから、港がきれいになってきているのを市議会でも市民も皆さんに分かっていただけたんですね。結果、企業も多額の費用をご負担いただく協力をしてくださり、145mの煙突はアクアブルーとホワイトのシンボルカラーに塗り替えられることになりました。昨年、この煙突は役目を終えて撤去されましたが、時代変化の中での役割を担い、ここならではの富士山と清水港の風景ができてきて、20年が経ったところです。

街ごとに合わせた色の選び方

 こうした街のカラープランニングは、空間イメージに合わせて、例えば清水なら清水の住民や企業へのアンケートによる現況調査、意識調査などをしながら進めます。そこに住む方の意識やアイデンティティーとともに、将来イメージを調査し、その結果をもとに色を抽出していくのです。この色が好きだから、という好みも一要素になりますが、その土地を形成する海や丘陵の傾斜といった「地勢」で歴史や風土が成り立っているので、土地から読み取ります。同じ港湾都市といっても、神戸と清水では違うし、九州だと砂浜の色からして違います。春先にかけたこの時期、北陸だと曇天が多いけれど、静岡はもうタンポポが咲くほど暖かい。地域づくりには風土色や地域の将来像から、時間軸も考えプランニングしていくのです。人も、その地域に生きる人々の身に合った色でなければ安心して身に着けてくれないですよね。

 今でこそアクアブルーや白のシンボルカラーは、国際交流海洋文化拠点として明るい清水をリードしてきた色です。ドリームプラザは、1999年清水港開港100年の年に再開発事業によって民間企業によって開設されました。今や年間880万人が訪れる商業施設になっていますが当時は、市民の立ち寄れない場所でした。その状況では色彩計画のカラーパレットは産業港に適応したものですから、将来、にぎわいの中心としての商業施設にふさわしい色彩は何か、海運業者や学識者、行政と話し合いながら施設の配色計画を決めるのですが、約1年間の協議期間を要しました。

 こうやって景観を形成していくことで、変わっていくのは街の外観だけではありません。企業、行政、市民など、携わる人々の色彩意識や景観意識が熟成していきます。意見も立場もさまざまですが「自分たちの街が大好き」という意識はみなさん共通していますから、景観や色彩に対する美意識により、地域が変化する時代に先駆けて進化してきていると思います。特に港町である清水はコミュニケーションを図りながら地域づくりを行う仕組みによりバランスを取りながら成長しつつあると感じます。

色彩と景観で、街も人も変わっていく

 毎年40~60件ぐらいの割合で、清水の湾岸では色の塗り替えが進んでいます。企業の方にはCG(コンピュータグラフィックス)やアニメーションで景観シミュレーションをしてご提案し、企業の理念CI(コーポレートアイデンティティ)を伺いながらアドバイスをすることもあります。富士山と清水港の景観に調和した色彩にするわけですが、それぞれの企業のポリシーを活かした個性を重視し提示します。

 私は東京出身ですが、静岡に来て思うのは、自分の生まれた故郷がみなさん好きで、日常的に見ている風景は同じです。今年度、学生たちと取り組んできた沼津市戸田地区の「まちなみ景観によるまちづくり」でもそうですが、自分たちの街を元気にしたい、そこで幸せになりたい、次世代にいい街を残したいと思っていることは同じなんですね。もちろん人によって、それが食であったり交通や景観であったり、切り口はさまざまですが、将来に求めるものは地域が元気になってほしいと思っている、その一点。私たちは景観や色彩を通して地域アイデンティティーの再認識と活性化に結びつくお手伝いをさせていただいていると思っております。計画当初色彩計画に協力できないという意見が6割以上だった企業側の姿勢も、2000年のアンケートでは85%が「協力する」に変わり、その理由も「よいことなので推進すべき」よりも「企業として当然」という意見が多くなっています。市民の方の意見も合わせると景観が「きれいになっている」という意見が8割を超えました。私がずっと願ってきたのは、この「霊峰富士山の景観に調和した人工景観の創出-富国有徳の風景づくり」です。日本一美しい自然景観に調和する人々の営みの景としての人工景観、誇れる静岡の地域の景観を皆さんとともに作っていきたいと願って取り組んできた結果、自主的な地域づくりに変わってきたことはなによりも大きな喜びです。

取材日:2011.2



東京都出身 静岡県静岡市在住


【 略 歴 】

     
1980 東京から静岡へ
1988 紺屋町コミュニティ通り道路景観デザイン
国道1号駿河大橋歩道の景観デザイン
1990 レディズ・マリン・フォーラム
1991 清水港・みなと色彩計画策定
1992 清水港・みなと色彩計画推進協議会アドバイザー会議座長

一覧に戻る(TOPへ)