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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

伊豆の池で川の恵みを育てる。
イワナ、ニジマス……淡水魚が「大衆魚」になる。

岩本いづみ(いわもと・いづみ)

岩本いづみ(いわもと・いづみ)



柿島養鱒株式会社


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柿島養鱒

川魚のイメージをくつがえす

 1973年に父がに始めた淡水魚の養殖を継ぐ形で、今の仕事を始めました。現在、函南と富士宮、伊豆の池でイワナを100トン、ニジマスを240トン、他にサクラマス、ギンザケの養殖を手がけています。全部合わせて400トンぐらい。これは全国でもトップクラスの生産量です。食品としてのほか、釣堀用にも出荷します。
 出荷するイワナもでもっとも多いのは、一匹100gサイズの魚です。でも実は一番おいしいのは、ここから1~2カ月育った120~150gサイズのもの。じゃあなぜ100gなのか? 和食の皿のサイズに合わせているからなんです。そう、淡水魚って「=和食」というイメージが強すぎるんです。よく旅館や料亭で出されますからね。でも和食というだけでは、これから広がりは限られていますから、もっと別の方向で知ってもらう方法はないかと考えています。というのも、若い人にとっては、淡水魚って本当になじみがない分、先入観もないんですね。もう少し出荷を遅くすれば、もっとおいしくなるのに…というところにニーズがある。そういうジレンマを逆手にとって、今、私が考えているのは「在来魚を再発見」ということです。
 例えば、イワナよりさらに大きな大イワナ。幻ともいわれるこのサイズの魚を作って価値を高め、それを多くの人に知っていただく。そこで考えたのが、フレンチやイタリアンです。ヨーロッパでは淡水魚は一般的に食べられる食材なんです。なので、レストランの方にも相談に乗っていただいて、完成させたのがリエットです。重要視したのは、常温で持ち運びできること、それから「脱・しょうゆ」。若い人が、例えば休みの日のブランチに、ちょっとおしゃれにワイン片手に食べていただけるような、そういうイメージです。丁寧に、本物の原料を厳選しています。リエットというと油脂分が大半を占めるものが多い中、本当に大イワナを6割以上も使っていますし、スパイスやハーブなどもフレンチのレシピに忠実に作っています。シェフと何度も真剣にやりとりをして、目指したのは、イワナの、淡水魚のイメージを変えたいということ。味はもちろんですが、食べ方もすべてを変えたかった。発案から商品が完成するまで1年を要しました。

健康でおいしい魚を育てる取り組み


 当社の一番の特徴は、エサも自分たちで研究して作っていることです。創業当初は買いエサを使っていたのですが、それで育てた魚がおいしくなかった。それでエサ作りを始め早30年以上が経ちました。
 魚は、サイズをそろえて出荷します。大きく育てることは意外と簡単なんです。人間と同じで、脂っこいものを食べさせればどんどん太る、でもそれは健康的じゃないし、なによりおいしくない。身質を作ることにこだわれば、魚自体が健康であることが第一条件になってきます。健康になるため、元気になるためにご飯を食べるわけですから、まず元気のいいものを食べてもらう。そのためには油で太らせるのではなく、高たんぱくなものを食べさせて、身質のいい魚を作るのが一番。これは私が父から受け継いだものですが、私自身、子供を育てていますから、食事が体を作る、ということは実体験で知っているんです。
 伊豆の池では今も絶えずエサの実験、試作をしています。何を何パーセントを混ぜたものが、どのくらいその期間に育ったかデータを取り、食べた感じも確かめます。世界的に最近のエサの傾向として、これまでの魚粉から、大豆たんぱくやトウモロコシなどの植物性たんぱくを使う流れになっています。でも飼料メーカーが出すデータには「見劣りしない成長」と書かれているけれど、それはたいてい重さだけのデータなんですね。味について書いてあるところはほとんどない。でも見た目100gでも、細長い100gと太った100gでは身質も味も全然違うわけです。そういったところを私たちはチェックします。そういうことはひじょうに感覚的なことで、自分で実験してみないと分からないんです。
 エサ会社で作られるエサよりは、数段いいものができていると思いますよ。他社のエサも調べまくります、食べてみたりね。今は生産履歴もはっきりするようになってきているから、どこの魚粉を使っているのかもわかります。もともと食べ物なんだから、秘密はいらないんですよ。

安定した食材としての川魚の可能性


 養殖の川魚は安定した第一次産業であり、そこで作られる魚は完成された食材です。それなのに認知度が低い。それを私は循環型水産業として確立できればいいなと考えています。今、私にしかできないことがあるとしたら、これは私が言い出しっぺとして、私にしかできないことかもしれない、と思っています。エサを作って、魚も作って…しかも県内で、地元の人が見えるもので、この産業が循環していくのが一番いいんじゃないかな、と。
 魚粉はおもに南米、アフリカなど海外から買うことが多いんですが、これが世界的に高騰していて、買いにくくなってきたのが一つの理由としてあります。経済的な理由です。一方、静岡県は水産加工業者がたくさんあり、そこに残渣が出て、魚粉になっています。この魚粉は、例えば焼津だと、マグロやカツオなどのかなりいいものが出ているんです。魚粉業者も、有機肥料用に作っていたのを良質にして飼料用に転換しつつあります。これらの質がもっとよくなれば、そしてこれを私が買えれば、海外からわざわざ買うよりも輸送費もかからず、目に見えるものを使うことができる。それで私が魚を作り、その魚で新しい味付け――ニジマスの新しい顔になるような加工品を提案できれば…そうやって循環させるんです。循環型農業というのがありますが、その魚版ですね。
 今、日本には300~400種類の魚が流通しているそうですが、海外から入ってくる魚は、名前が分からないというだけで買ってもらえなかったりする。それらは廃棄処分になるんです。今の時代はまだ海の魚を安価に買えているけれど、これからどうなるか分からないですよね。そういう意味では、私はニジマスをはじめとする淡水魚の養殖に力を入れることで、さらに安くできると考えています。目指すのは大衆魚。食卓に上がるのがニジマスで、家族には「またニジマスかよ」って言われるような、アジやイワシにかわるような大衆魚になれるだけの、安定した食にできるという自信がある。海のみならず川まで含めたとき、川の資源というのはこれからもっと見直されるべきだと思うんです。

一番の壁「自然」に立ち向かう


 今、新たに淡水魚の養殖に携わるのは、水利権の問題もあるので難しくて、若い世代はほとんどいなくなっています。その上の親世代は保守的な世代で、新しい挑戦があまりないんですね。後継者の問題やエサの高騰で、廃業される方がどんどん増えてもいます。
 幸い、私のところでは若いメンバーが朝早くから遅くまで熱心に働いてくれています。魚のえさやりなどで、魚の時間に合わせて生活を変えられる、それを仕事にしていこうと取り組んでいる。これをうまく活用していく手はないと思うわけです。
 一番やっかいなのは「自然」ですね。これだけは本当に、どうしようもないんです。昨年の豪雨のときなんて、本当にひどかった…朝、まだ暗いうちに池を見に行くんです。一歩一歩、池に近づくにつれ、あふれた水から打ち上げられた魚の死骸がどんどん増えていく。これまで大切に育ててきた魚が、一晩の雨で、だめになってしまう脱力感。今までの努力はなんだったんだろう、と思うほど。これが自然というものの力。だから私、自然って嫌いなんです。
 それでも、そんな自然に負けずに頑張る。それだけの価値があるし、これからニジマスは日本の食料を支えるものになるんじゃないかと期待しています。ただ、これだけの生産量を誇るのにもかかわらず、残念ながら、これらの淡水魚は「地産地消」には至っていないですね。在来魚の中でも川の王様とも呼ばれる「イワナ」。これも地元静岡ではほとんど知られていません。名前だけでなく、食べ方や味、どんな魚か、なんて、あまり知らないんじゃないかな。
 当初、淡水魚の養殖も海外への輸出のために始められたものが多いので、今まで外に出すばかりをやってきました。でも、地元に愛されない限り、世界進出は無理なんです。街づくりもそうだけど、地元の人が地元が好きでなければ、世界発信なんてできないんですよ。

文化としての食の発信を

 日本は経済的に下降線を辿っているけれど、一方で、文化や食文化は世界中に注目されています。文化が一番の売りになる。自分たちがいつも持っている文化を当たり前と思っていないで細かく分析し、どれほど商品価値があるかということをみんなが知り、その上で、うまく発信していけば…その中で静岡を注目してもらえるようにすれば、まだまだやっていけると思うんです。淡水魚だけでなく、静岡の食文化にはそれだけの魅力も要素もたくさんあるんです。
 それと同じく、第一次加工ができるところが少ないのも問題じゃないかと感じます。手仕事を請け負ってくれるところが少なくなっていますよね。手仕事に価値を見いだせるような社会になってくれればいいのですが。手仕事の部分を海外に委託する風潮になってきているけれど、本来日本ではとてもいい手仕事も、それを担う人達もたくさんいたんです。それが戻ってきてくれないと続けられない仕事も、たくさんあります。手仕事にお金をどんどん使わないと、本物ができなくなってしまう。今、日本でも外国人が干物を作ったり一生懸命頑張ってくれているけれど、これから先もずっと食文化を残していくためには、日本にこれからもずっといて伝えていく段階が必要です。伝え続けられるものじゃなければ…そのためには、素材だけじゃなく街全体で活かしてもらえるような取り組みが必要じゃないでしょうか。
 そういう意味では今、富士宮でにじます学会をはじめ、いろいろな食の学会が立ち上がって、いろんな方面から街づくりをしようと頑張っていますが、あれは生産者にも刺激になっていいことですね。それぞれの学会の窓口になっている人は、それぞれその業界の人じゃない人が担当しているのも、切り口が斬新になってくるから。中にいると見えないことも外から見て提案してくれるんです。
 自社でエサを作っているから、科学的なことも気になってくるし、海外から材料を買うから為替も気になる。私が自分で知らなきゃいけない範囲は非常に広いです。自分が勉強することももちろんだけど、いろんな専門家と話すように心がけて「養殖を科学する」ことを考えています。当社だけのことではなく、日本の養殖業界が抱えている問題は自社の問題、すべて自分の問題として、いつも心の中にあります。そういった意味では、これから自分ができる限りのことをやれば、淡水魚の養殖はもっと未来があるんじゃないかと思います。

取材日:2010.11



静岡県田方郡函南町生まれ 三島市在住


【 略 歴 】

1973 父が養殖業を開始 手伝いを始める
1986 大学卒業後会社勤め
1992 結婚 千葉県市川市に引っ越し
1997 三島に引越 家業手伝い再開
2007 本格起動

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