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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

地域の助け合いで、頑張る人たちを応援。
街の居場所「もうひとつの家」のゴッドマザー。

稲葉ゆり子(いなば・ゆりこ)

稲葉ゆり子(いなば・ゆりこ)



NPO法人 たすけあい遠州 代表理事



51歳で仕事を辞めて、頑張る女性たちを応援

 私たちが現役で仕事をしていた頃は、育児や介護で仕事を休める制度はありませんでした。家族に何かがあると、仕事を休んだり、場合によっては退職したりするのは、当然のように女性の役割でした。
 私も2人の子供を育てながら、学校事務の仕事をしていました。確か40歳ぐらいのとき、いつものように事務室で電話を受けながら、「どうして女の先生ばかりに電話がかかってくるんだろう」と、ふと思ったんです。「お子さんが熱を出したので迎えにきてください」という保育園からの電話を受けるのは、必ず女性で、皆さん忙しいなか、周囲に遠慮しながら帰っていくわけです。
 気をつけていると、電話だけでなく、休暇や早期退職の手続きも女性が圧倒的に多い。つまり、家庭的な問題は全部、女性たちに関わってくるということですね。女性が家庭をもって働き続ける大変さがひしひしと伝わってきました。
 お節介かもしれないけれど、早めに仕事を辞めて、働く女性を応援できないだろうか――。そんなふうに考え始めたのが、現在の活動のきっかけです。「50歳になったら退職しよう」と心に決めて、実際には51歳で早期退職しました。
 私の場合、近くに両親が住んでいたおかげで、在職中は何かと母に助けてもらっていました。「天ぷらをたくさん作ったわよ」とか「今日はたっぷり煮物があるからね」という声掛けが、週に1回ぐらいあって、その都度「今日は仕事が頑張れるぞ」と思ったものでした。嬉しかったですね。自分がしてもらって嬉しかったことですから、多分どなたも同じように喜んでくれるんじゃないかと思っていました。
 料理だけではありません。仕事で帰りが遅くなるとき子供を預かってくれたり、子供が熱を出したとき病院に連れて行ってくれたのは、両親でした。そういう応援があったからこそ、私は仕事を続けてくることができたわけです。でも、「両親以外にも、困ったとき、気軽に頼めるところがあったらいいな」と、ことあるごとに思っていました。

挨拶だけの近所づきあいを脱却し仲間づくり

 仕事を辞めて真っ先に取り組んだのは、母がそれまで私にしてくれたことです。週に1回、わが家の夕食を作るとき、10食分ぐらいおかずを余分に作って、「あの人、頑張ってるな」と感じていた知り合いの女性のお宅に、届けに行きました。ものすごく喜んでくれましたね。
 でも、そのなかの1人に「タダというのは嫌だ」と言われたんです。確かにそうかもしれないと思って、1食分の材料費が200円ぐらいだったので、その分をいただくことにしました。毎週1回ですから、私のほうも、それほど大変な仕事ではありませんでした。
 同時に「私、仕事を辞めたので、何かあったら声かけてね」と周囲の知人に言って回りました。近所に足の不自由な友達がいて、「これからは病院でも買物でも、私が車で連れて行ってあげるよ」と言ったら、「あなたの大切な時間を、私が勝手に使うのは申し訳ないわ」と言われたんです。「ほう、そういうものか」と思いましたね。仕事を離れてから投げかけられる一言一言が、本当に新鮮でした。
 仕事をしていた頃は、毎日、家と職場間の往復で、ご近所づきあいも挨拶程度でした。わが家は1960年代にできた新興住宅地だったので、お互い、それ以上のお付き合いにならないのは、むしろ普通だったんです。
 それが退職を機にちょっと自由の身になって、夕方近くに買物に行くと、顔見知りの人と次第に立ち話をするようになるわけです。ほとんどの方が、私より10歳以上年上でした。いつの間にか6~7人の仲良しができて、わが家でお茶飲み話をするようになりました。そのうち、お手前が得意な人がおいしいお茶をたててくれたり、知り合いの中国人の女の子を呼んで、家の台所で本格中華を作ってもらったり、すき焼きパーティーをしたり……。女性っていうのは、そういうことが楽しいんですよね。外食するより、誰かの家で食べる方が安上がりだし、おいしい。
 あるとき、そのメンバーのなかの3人が、「いつも稲葉さんのお宅にお邪魔するけど、何か手伝うことない?」って言ってくれました。それで、実は週に1回、頑張っている女性に配食しているのという話をしたら、「是非手伝いたい」と。それでローテーションを組み、配食を手伝ってもらうことにしました。

「しずおか女性カレッジ」で学んで地域活動に開眼

 私が退職した1993年の4月、「静岡県男女共同参画センターあざれあ」がオープンしました。「県民だより」で、「しずおか女性カレッジ第一期生」の募集を見つけ、早速応募しまして、毎週1回、静岡市まで勉強に出かけるようになりました。
 一緒に講義を受けていたのは、私が20数年、学校で事務していたときには縁がなかったキャリアをおもちの方々ばかりで、自由な発言する女性が多かった。講義中の発言を聞いていても、本当に目からウロコなんです。ものすごく刺激的でした。長いこと公務員として、「上を見て下を見て周りを見て」という姿勢に慣れっこな自分を、つくづく世間が狭いと感じました。
「しずおか女性カレッジ」に2年間通った後、「あざれあん・るねっさんす地域研究塾」にも1年間通いました。3年間の受講料は全部無料です。「こんな贅沢を享受するだけでは、現役で働いている人に申し訳ない」と思いましたね。地域の公民館の公開講座とはわけが違います。「しずおか女性カレッジ」の開校のときにも言われたのですが、学んだことはやはり地域で活かさなきゃいけないと思いました。
 同じ頃、有償ボランティア活動と時間預託制度に関する講座を、東京まで聞きに行きました。「ボランティアなのにお金をもらう」ということ自体、私にとっては新鮮でしたね。さらに驚いたのは、「もらえるお金がその時点で不要なら、将来、困ったときに使える」ということです。「自分がボランティアに費やした時間を預託しておいて、のちのち困ったことがあったとき、預託した時間分だけボランティアしてもらう」という相互扶助の考え方も、その講座で初めて知りました。
 早速、「しずおか女性カレッジ」の仲間に講座の話をしたら「面白そうだね」という返事が返って来て、「じゃあ一緒にやらない?」という話になりました。それが1994年の冬。いよいよ組織を立ち上げようということで集まったメンバーは4人。すぐに5人、6人と増えて、「ふれあい袋井」が誕生しました。

「困った人」と「助ける人」をマッチング

「困ったときに有償で助け合いをする」というのが、「ふれあい袋井」の大きな目的です。1995年10月の活動開始を目指し、その年の夏ごろから、聞き取り調査を開始しました。
 最初に集まってもらったのは、家庭をもちながら仕事をしている20~50代の女性数名。「もし困っているときに助けてくれるボランティアがいたら、どんなことを頼みたいですか」「現在、働きながら不安に感じているのはどんなことですか」という質問に対し、彼女たちから返ってきた答えを、一覧表の左側に書きとめました。
 その次の週に集まってもらったのは、やや年輩の現役を退いた10人ぐらいの女性たち。一覧表を見てもらいながら、「このなかに、皆さんができることはないですか」と尋ねたところ、集まった10名ぐらいの人たちで、困りごとの全部に対処できることがわかりました。
 驚きましたね。有償のボランティアの講座に行ったとき、「まずは地域のニーズを掘り起こす」ということを言われたんです。自分たちで組織を立ち上げるにあたって、「困った人」の声と「助ける人」「支える人」の声、両方を集める必要があると思って、双方を照らし合わせてみたら、ニーズとシーズがぴったり一致した。日常の助け合いというのは、実は誰にでもできるということが、明らかになったわけです。
 それぞれの家庭や職場環境は違っても、働く女性が日常的に感じている困りごとは、ほぼ共通しています。例えば、子供が風邪ひいたときに預かってほしい、仕事で帰りが遅くなるときに夕ご飯をつくっておいてもらいたい、書類の手続きを代行してほしい、おばあちゃんやおじいちゃんの日中の話し相手になってほしい……。今思うと、このとき挙がった困りごとは、そのままそっくり私たちがこの16年間に行ってきた活動です。「ふれあい袋井」を設立したことで、それまでわが家でやっていた夕食のお届けサービスも、活動の1つに組み込みました。

予想を上回る女性たちが助け合い活動に賛同

 もう1つ、有償ボランティアの講座で学んだことに「組織を立ち上げるときは、会員皆で資金を出し合うのがいい。そのほうが、皆のための組織になる」ということがあります。出資金が安すぎると、気軽に入会し、すぐに辞めてしまう人が続出する恐れがあったので、少し高めに設定しようということで、出資金を2万円にしました。
「ふれあい袋井」立ち上げの会は、当初の予定どおり、95年10月、近くの公民館で開きました。テーマは「安心して輝いて」。活動の目的は、「働く女性の応援をとおして、将来的に助け合える仲間をつくろう、生涯このまちで暮らそう」ということです。
 その日、会場に集まった男女は34人!予想をはるかに上回る人たちが押し寄せ、椅子が足りませんでした。びっくりしましたね。いきなり68万円を預かることになって、皆で「どうする?」と顔を見合わせました。
 翌96年4月の総会では、さらに会員が増え、50人ぐらいになっていました。どんどん会員が増えていたので、とりあえず100人まではいいことにしようということにしました。そのうち、助け合いの活動にそれほどお金は必要ないということがわかってきて、97年、皆さんからお預かりしていた出資金を1万円ずつお返ししました。さらに98年には3,000円あれば十分ということで、入会金2,000円、年会費1,000円として、立ち上げ当時からの会員には、さらに7000円お返しました。
 組織名は当初「ふれあい袋井」でしたが、「ふれあい」とつく事業がものすごくたくさんあって紛らわしかったので、97年に「たすけあい遠州」に改めました。2000年には、「NPO法人化たすけあい遠州」が誕生しました。

変わること厭わない姿勢が活動を元気にする

 ここまでお話してお分かり頂けたと思うのですが、私たちはこれまで、いろんなことを活動しながら決めてきました。良く言えば「臨機応変」、悪く言えば「いい加減で、行き当たりばったり」です(笑)。そもそも、私たちは「変わることを厭わない。変えることを楽しむ」ということがモットーなんです。それは活動拠点や活動内容といった大きなことから、配食の仕方や容器、届け方などの細かなことまで、すべてに通じています。いい情報を聞きつけたら、皆と相談して、どんどん取り入れて変えていく。
 こういう活動は変化があったほうが元気が出るんです。人間、同じことの繰り返しだと、だんだん飽きてきて、嫌になってきますからね。この16年間、変わり続けて、変わることを楽しんできました。
「ふれあい袋井」の拠点は、当初、わが家でした。ところが配食サービスが10食、20食、30食と増えていって、普通の家庭の台所ではどうしても手狭になってしまった。そうなると週に1回とはいえ営業許可など保健所の手続きとかも必要だろうということで、新たに家を借りることになったんです。それが「ごっつぉうハウス」です。
 一軒家を借りても、厨房を週1日使うだけではもったいないというので、地元の農家さんにお願いして野菜をもってきてもらい、精神障害の人たちにも手伝ってもらって、週に1回、販売を始めました。これが「縁側ショップ」です。私たちも食品関係営業許可をとったので、ジャンボいなりやお味噌汁、お惣菜やお漬物などの家庭料理を、100~300円のお手頃価格で出すようになりました。
 縁側ショップには、近所のおばあちゃんや赤ちゃんを連れた若いお母さんなど、いろんな人が集まってきました。あるとき、おばあちゃんの1人が「ここに来れば誰かに会えるもんね」と言っていたのを聞いて、「そうか」と膝を打ったんです。「縁側ショップ」は単なる販売の場というより、近所の人たちが集まる場なんだなということに気付いたんですね。
 そんなとき、「北海道に引っ越すから家を活動に使っていいよ」と言って下さる方がいらして、「もうひとつの家」が生まれました。「縁側ショップ」のにぎわいを見て、私たちもちょうど「自分の家以外に、もう1つ気軽に行ける家があったらいいよね」という話をしていたので、文字どおり渡りに船という感じでした。

「もうひとつの家」は多世代が集う出会いの場

 袋井駅前にある現在の「もうひとつの家」は、4代目の建物です。バス停の目の前なので、暑い日、寒い日、雨の日、皆さんふらっと立ち寄っていかれますね。火~土曜日は、会員のお年寄りが、毎日10~20名、ここでレクリエーションしたり、私たちの手作りのお昼ごはんを食べたりして、1日を過ごしていきます。300円のランチはとても好評で、会員さん以外にも毎日30人ぐらいのお客さんがいらっしゃる。皆さん一緒に食事をされて、地域のふれあいの場所になっています。
 現在、「たすけあい遠州」の活動の中心は、この「もうひとつの家」ですね。会を設立した当初は、「働く女性を応援する」活動が中心でしたが、やがて奥さんが病気で仕事と家事に奔走している男性をサポートするようになり、「働く世代を応援する」と活動方針を改めました。配食も、当初は働くお母さんのいる家庭向けが中心でしたが、割合初期の段階で、高齢者のお宅が中心となりました。
 設立に先駆けた聞き取り調査で、働く女性のニーズに、「おばあちゃんやおじいちゃんの日中の話し相手になってほしい」というのがあって、初めのうちは、1時間600円で2~3時間、話し相手をさせてもらっていたんです。ところが「ごっつぉうハウス」ができて、それぞれのお宅に伺うより、皆を連れてきちゃった方がいいということになった。お昼には私たちが作るお稲荷さんやお惣菜を食べてもらって、近所の人たちとお茶を飲んだりして1日過ごすほうが安上がりだし、1対1よりもずっと楽しい。そこに赤ちゃんや子供がくれば、おばあちゃんたちは喜んで子守りをしてくれるわけです。
 人の付き合いというのは、「いろんな人が混ざり合うのがいい」ってことを実感しましたね。助け合いに必要なのは、お金よりも人と人とのつながりです。高齢者に居場所を提供することは、結果的に働く女性たちのサポートにもつながっています。

助け合いで感謝の気持ちを表す時間通貨「周」

 助け合い活動は当初、1件につき600円でしたが、2002年に時間通貨「周」を導入しまして、2004年以降は「周」に1本化しました。活動しているうちに、「お金を介在させなくても回していけそうだね」ということがわかってきたんですね。草むしり、窓ガラス拭き、送迎など、助け合いの内容にもよりますが、基本的に1行為もしくは1時間 あたり「1周」。何かしてもらって嬉しかったら「ありがとう」という言葉に添えて、「周」を渡します。嬉しい気持ちを形にするツールですね。「お互いいい時間を共有しました」という意味で、時間通貨と呼んでいます。
「周」は「たすけあい遠州」の事務局で販売しています。最初は会員の皆さん全員に5枚ずつお配りしたんです。ところが、なくっても「欲しい」と誰も言って下さらない。そしたら「タダではもらいにくい」とおっしゃるんです。それで「1周=20円」でお渡しています。材料費20円の「周」が500円にも1,000円にも、そしてお金では計りきれないくらいの価値になって、人と人とを温かくつないでくれています。
「もうひとつの家」に来るお年寄りたちは、皆さん「周」をもっていらして、「周」をもっていないと寂しいという声さえ聞こえてきます。いろいろとお手伝いしてくれる人は、たまった「周」でランチを食べることもできます。
 今のところ「周」は、「たすけあい遠州」内での時間通貨ですけれど、将来的には、全国のさまざまな団体で導入してもらえたらいいなと思っています。私は「さわやか福祉財団」のインストラクターもしているのですが、「周」の仕掛け人として、普及活動にも力を入れています。
 もちろんNPOの運営には、お金が必要です。月73,500円の家賃や、「もうひとつの家」でお料理をしてくれたり、音楽療法をやってくれるスタッフなどには、1時間500円支払っています。そういう現金での支払いは、会員の年会費の他、古紙回収のリサイクル活動による収入、寄付、「もうひとつの家」での食事代などで、十分まかなうことができます。
 しかし大切なのはお金がどう回るかではなく、人をどうネットするかということですね。お料理にしても事務処理にしても、得意な人を見つけて「お願いね」と頼めば、気持ちよく引き受けてくれます。自分にできること、得意なことをお願いされると、皆喜ぶんですよね。私たちの活動では、それぞれが自分にとって都合のいい関わり方を選べます。パートが終わった後、1時間でも2時間でもいいですし、週に半日でも1日でもいい。日常的に社会参加するということが、重要だと思います。
 採算は、やることさえやっていれば後からついてきて、ちゃんと回るようになるように思いますね。

こんなに楽しい60代が待っているとは……

 現在、「たすけあい遠州」の会員は200人余りぐらい。16年前は、「何やってるの」という感じもありましたが、今では「頑張ってるね」とか「駅前に行くと楽しいね」など、大勢の方がエールを送ってくださります。駅前に移ってからは、市長さんや市議会議員の方なんかが、ふらっと立ち寄ることもあります。出会いと食があれば、誰でも「もうひとつの家」の楽しさに加わることができます。
 新たな展開ということでは、現在、お年寄りたちの買物サポートを考えています。「買物難民」とまではいきませんが、不自由を感じられている地域の方をサポートできればと思っています。
「もうひとつの家」に来るお年寄りたちを見ていると、見習うことがたくさんあります。ひとり暮らしのお年寄りでも、近所の方と仲良くされていて、お互い声を掛け合っていたり、「お菓子食べない?」なんて訪ねて行ったり。そんなふうに、ちょっと気にかけてくれる人がいることが大切なんです。大勢の人と出会える場があれば、仲間ができて、仲間がいれば「どうしてる?」という会話があります。孤立とは無縁な毎日です。
 介護保険ができたことで、身体のケアはしてもらえるようになりましたが、心の中までは満たしてくれません。制度ができたとき、資格保有者が会員さんにたくさんいるにもかかわらず、指定事業の道を選ばなかったのは、私たちが考える助け合いの形を充実させたかったからです。
「ここに来ると若返る」「頭がしっかりするようになった」というお年寄りはたくさんいます。認知症の方がいても、「あの人は認知症だ」なんて誰も思っていなくて、せいぜい「忘れっぽい人ね」という程度です。よその施設では、一日中ずっと寝てばっかりというおばあちゃんが、ここでは面白いことをいって皆を笑わせる。ご家族によれば、ここに来た日は夜もよく眠るそうなんです。
 やはり、いろんな人が出入りする普通の場所なのがいいんだと思いますね。お年寄りだけじゃなく、お昼どきにもなれば、近所の主婦やサラリーマンなんかも来ます。
 こういう活動をしているおかげで、いろんな出会いがあって、いろんな生き方を学べて、大勢の人たちと楽しくやれる。これほど充実した60代が待っててくれるなんて、現役で仕事をしていた当時は、夢にも思いませんでした。70代、80代、90代になっても、同じような気持ちでいられたらいいなと思います。

取材日:2011.2



静岡県浜松市生まれ 袋井市在住


【 略 歴 】

1995任意団体「ふれあい袋井」設立。地域の助け合いを開始
1997「たすけあい遠州」に団体名を変更。「ごっつぉうハウス」と「縁側ショップ」を開始
1999「もうひとつの家」開設
2000NPO法人「たすけあい遠州」設立
2002地域通貨「周」をスタート
2003「周」を時間通貨に改める
2004有償で行ってきた助け合い活動を時間通貨「周」に1本化
2009袋井市駅前に「街の居場所もうひとつの家」をオープン

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