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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

目指すは「子供と母親にやさしい」地域医療。
子育て経験も活かし、地元に貢献する小児科医。

増井礼子(ますい・あやこ)

増井礼子(ますい・あやこ)



焼津市立総合病院 小児科 障害児療育支援室長


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焼津市総合病院 小児科

すべての子供を「たった1人の患者」のように

 小児科病棟には、他の病棟にはない独特の匂いがあります。お母さんのおっぱいのような、甘くてやさしい匂いです。その匂いが好きなこと、病院実習で「赤ちゃんって本当に小さくて可愛い」と思ったのが、小児科を選んだ理由です。
 小児科医には、いわゆる「いい人」が多いのではないでしょうか。子供好きで優しい人が多いので、職場環境はずっと恵まれています。何もかも始めての研修医時代、点滴を入れることさえ大変だった頃、小学校6年生の女の子に「私、先生たちの実験台みたいだね」と言われたことがあります。ドキッとしましたが、すかさず「実験台じゃないよ。私たちを練習させてくれて、育ててくれているんだよ」と答えました。それは本当にそのとおりで、患者さんに育てていただいたおかげで、今日の自分があるのだと思います。
 患者さんのお母さんたちも、私にとっては先生です。小児科医から見ると、お子さんは患者の1人ですけれども、それぞれのお母さんにとっては、ご自分のお子さんがいちばん大切なわけです。ですから、1人ひとりのお子さん全員を、たった1人の患者さんのように対応したいと思っています。

苦い経験で学んだコミュニケーションの重要性

 研修医1年目のときは、現場で何もできないということを痛感したのですが、2~3年目になると、少しずついろんなことができるようになって、気がつくと自分の中におごりが出ていたんだと思います。御殿場の病院に勤務していたとき、こんなことがありました。
 おたふく風邪の疑いがあるお子さんだったのですが、「腫れている間、1週間くらいは学校をお休みしてくださいね」とお伝えしたんです。でも、一見おたふく風邪のようでも、他の原因で耳下腺が腫れる場合があるんです。診断を確定するには検査してみないとわからないのですが、結果が出るまで1週間ぐらいかかります。「おたふく風邪かもしれないけれど、もしかしたら、そうでない可能性もある」ということは、お母さんにお伝えしたつもりだったのです。でも検査の結果、おたふく風邪ではないことが判明して、その後、病院に苦情が来ました。学校を1週間休んだのは、誤診のせいだと。
 私は、そのお母さんが説明を理解してくださっているのだと思って、むしろ親しみを込めて話していたつもりだったんです。でも、お母さんはそう取っていなかったし、説明の内容もきちんと伝わっていなかった。コミュニケーションはとれているものと信じていたので、ショックでしたね。何年たっても忘れられない苦い思い出です。
 なぜ行き違いが起きたかを考えたのですが、多分、当時の私は、心のどこかにおごりがあったんでしょうね。説明の仕方も「上から目線」で、お母さんはカチンときて気を悪くされたのかもしれない。
 今は、相手が理解しているなと思ったときでも、何度も何度もくどいくらい説明するようにしています。患者さんのお父さんやお母さんをいかに納得させるかというのが、小児科医の重要な務めです。どの親御さんも、子供のこととなると平静でいられないのは当然ですし、病気となれば、自分自身のこと以上に真剣です。自分のことじゃないからこそ、完璧を目指すのかもしれませんね。そういう気持ちは、自分に子供ができて、初めて実感しました。

子育てする女性にやさしくない医師の世界

 意外に思われるかもしれませんが、正職員として勤務している医者が「産休」をとれるのは、珍しいケースです。私も妊娠して、一度、仕事を辞めました。産休をとったという先生は、今までに1人しか知りません。社会的には、これだけ産休や育休が浸透しているのに、医者の世界は、女性にとってやりにくい部分がまだ残っています。
 子供を産めば、そこでキャリアが途切れてしまうことを覚悟しないといけません。「常勤は難しいけれど、ちょっとだけなら子供を預けて働けるという時期に勤められる病院は、残念ながら、なかなか見つからないのが現状です。医療の世界では、1~2年のブランクでも、新しい薬や技術が登場して、キャッチアップするのは結構大変です。子育てをしているうちにどんどん敷居が高くなって、なかには復帰を諦めてしまう先生もいますね。
 私の場合、周囲の先生に本当に恵まれていました。子供を産んでも仕事を続けられたのは、そのおかげですね。息子が1歳のとき、大学病院時代の指導医だった那須田馨先生が開業されている浜松のクリニックで、最初は予防接種、そのうち「外来もやってみる?」と言ってくださり、2年間のブランクを段階的に埋めていきました。
「やっぱり仕事は楽しいな」と思いましたね。家で1日子供にべったりというのもいいけれど、仕事で気分転換したほうが、子供と向き合うとき、もっと楽しいと思えたんです。働きながら子育てをする醍醐味ですね。
 現在勤めている焼津市立総合病院も、2年前まで小児科にいらした堀尾恵三先生が「女性も働ける時期になったら働いたほうがいい」という考え方で、息子が2~3日入院したときに、いろんな事情をお話したら「じゃあここで働いたらいいじゃない」と、門戸を開いてくださった。

「子供が安心できる環境」のための大きな決断

 子育てをしていくうえで子供の安心感を確保していくことは、とても大切だと思います。外来に来るお母さんたちを見ていると、お子さんの具合が悪くても、とりあえずは保育園に預けて、熱が出てきたら迎えに行くみたいに、綱渡りで乗り切っている方が多いですね。でも、子供にとってみると、そういう綱渡りは不安だろうと思うんですね。具合が悪いときには、しっかり見ていてくれる人がいる安心な環境が必要だと思うんです。
 実家がある焼津に戻ってきたのは、息子が1歳のとき。夫と別居したんです。彼は東京の大学院に進学しようとしていたので、私に働いて家計を支えてほしかったようです。でも私としては、子供が3歳くらいになるまでは、成長を見続けていたかった。
 彼も私も実家は東京でないので、子供が病気になれば、きっと私が仕事を休まないといけないんだろうなと思いました。子供というのは、集団生活を始めた最初の1年間は、病気をしやすいものなんです。そんなとき、もし外来で患者さんの予約が入っていたら、誰が息子をケアするのか。もし私が息子の看病のため早退すれば、患者さんにも同僚にも迷惑がかかってしまいます。
 私が仕事を続けるには、いざというとき、確実なサポートが得られる環境でなければムリだと思いました。誰かに預けちゃえばいいということでなく、子供が安心できる人に預けてあげたい。それで、夫は東京へ、私は焼津に引越しまして、それから数年後、息子が幼稚園に入る頃に離婚しました。やはり大きな決断でしたね。

「母」だからこそわかる患者の母親の気持ち

 那須田先生も堀尾先生も、私のそういう事情をご存じで、働くチャンスを与えてくださりました。本来は当直もありますし、入院患者を担当するのですが、私の場合、現在でも外来診察だけをやらせていただいています。子育て中の身には、ものすごく恵まれた条件です。両立できるのは、本当に周囲の人たちのおかげですね。実家が近いので、遅くなるときや具合が悪いときは、両親が面倒を見てくれますから、いざというときも安心です。働けて、本当に良かったなと思っています。
 勤務は平日の8時半から5時15分まで。息子は小学校2年生で、父と一緒に私の帰りを待っています。母は姉の子供を見ているんですね。父が宿題を見てくれるのは、とても助かります。夕飯を食べさせてお風呂に入れたら、もう9時で、寝かせないといけません。親子の触れ合いと言いますけれど、平日はなかなか時間がないですね。お風呂に入って話をするときぐらいです。
 子供がいることは、仕事をするうえで非常に役立っています。何と言ってもお母さんたちの不安に共感がもてますし、「私もそうでしたよ」と言うと、お母さんたちは「皆そうなんですね」と、安心して帰っていかれます。独身時代と比べて、お母さんたちへの親近感は、格段に高まりましたね。
 離婚したことは後悔していないので、息子が「どうして僕にはお父さんがいないの?」と聞くときには、「いないわけないじゃない。こういう理由で、一緒に暮らしていないだけだよ」と言っています。母子家庭というと暗いイメージがありますけれど、他のお母さんを見ても、明るく活き活きしている人が多いのではないでしょうか。何のサポートもなく、パワフルに頑張っている方もいますよね。子供の具合が悪いときも、お母さんひとりでマネジメントしているのは、本当にすごいと思います。
 もちろん、「父親がいたほうが良かったかな」と思うことがないわけではありません。けれど、無理に一緒にいてケンカばかりというより、母子2人でも楽しく、ストレスなく生活しているほうがいいのかなと。子供が不安なく過ごせることが第一だと思うんです。
 ただ、両親そろっている場合に比べて、子供が学ぶ機会が少ないと思うので、2人分教えてあげなきゃいけないと思っています。男の子ですし、兄弟がいませんから、ケンカも教えてあげないといけない。ときどき、こちらからちょっかい出すと「ママはしつこいよ」と怒られたり……。まあ父親的なことは、おじいちゃんのなかに見ているんじゃないかと思いますね。

患者の母親に救いを与えられる医師でありたい

 最近、私が興味をもっているのは、発達障害や重症心身障害のお子さんです。これまで障害をもつ患者さんと触れ合う機会があまりなかったのですが、最近いろいろと接点が生まれて、障害のあるお子さんをもつお母さんたちの悩みや不安、困っていらっしゃる家族が思った以上に多いということを知りました。
 焼津市立総合病院には「言語療法室」というのがあります。障害をもつ1人ひとりのお子さんに合う手法で、発達を促す訓練をしています。同時に、お母さんたちに対しても、どういう接し方をすればお子さんたちがもっと伸びていくか、現在の対応だけでなく将来的な方向性についても、一緒に考えていきます。
 小児科医として子供に関わっていながら、障害のあるお子さんやお母さんの現状については、最近まで、ほとんど何も知りませんでした。当院では、ずっと堀尾先生が担当されていたんですね。例えば、「つばさ静岡」や「天竜病院」のような療育支援のための施設には、たくさんの希望者がいて、県外からも入所希望があるそうです。家族がお子さんを見られない状況になったとき、安心して預けられる場所は、全国的にも十分ではありません。
 例えば、脳性麻痺のお子さんを介護している親御さんは、自分たちが老齢化していったときや病気になったとき、誰がわが子を世話してくれるかという不安をかかえています。堀尾先生も退職されるまで、そういう親御さんたちのサポートにも力を注がれていました。お子さんのケアをしている親御さんは、どうしても孤立しがちですので、診察のときに雑談するんです。お話を聞くだけですが、それによって気が晴れたり、前向きに考えられるようになったりすればいいなと思うんです。医者という立場でできることによって、微力ではありますが、力になれたらと思っています。
「お医者さんになりたい」と思ったのは、10代の頃、困っている人の役に立ちたいという気持ちからでした。医師になって10年になります。障害をかかえたお子 さんに関わるようになったことで、自分の原点を思い返しながら、人の役に立てることは、まだまだあると感じています。
私はこれからもずっと焼津で暮らしていくつもりです。せっかく自分を活かせる場を与えていただいたわけですから、地元の地域医療に貢献していきたいと思っています。

取材日:2011.1



静岡県焼津市生まれ 焼津市在住


【 略 歴 】

1998浜松医科大学医学部 卒業
浜松医科大学医学部附属病院 勤務
1999藤枝市立総合病院 勤務
2000社団法人有隣厚生会 富士病院 勤務
2001財団法人芙蓉協会 聖隷沼津病院 勤務(~2002)
2003那須田こどもクリニック 勤務
2004焼津市立総合病院 勤務

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