戦後の武道禁止令
私がなぎなたを始めたのは女学校に通っている頃でした。当時、学校の正課、体育の授業の一つになぎなたがあって、面白くてね。先生も東京で勉強をなさった方が教えてくださっていたので、楽しく取り組んでいました。でも時代は戦争へと向かう時代。じきにそういうことをしている余裕はなくなりました。なぎなたはおろか、学校の授業なんてできなかったんです。
終戦後、日本は負けて米軍が入ってきましたでしょう。「野蛮な大和魂は武道から来る」なんて誤解から、武道はのきなみ禁止になったんです。柔道や剣道、薙刀(なぎなた)も同じようにね。そのうち素手で行う柔道や空手は解禁になったのですが、剣道や薙刀は武器を持ちますから、なかなか許可がもらえませんでした。でも、諸先輩が「日本の心、薙刀の灯をけしてはならない」と力を合わせ、「いかに薙刀がすばらしいものであるか」を説いて、やっと許可が下りたんです。
古流の「薙刀」から新しい「なぎなた」へ
古流の薙刀は実際の試合から理合(りあい)やわざをまとめて体系づけたものですから、それは本当にすばらしいもので、私がずっと稽古してきた直心影流もとてもきれいな形です。
しかし武道が解禁になるときに流派を超えて、男女、年齢を超えて誰でもやれる統一したものを作ろうと、複数の流派がそれぞれの特長の技を提案し、試行錯誤を経て新しい「なぎなた」が生まれました。そして「全日本なぎなた連盟」が発足したのは昭和30年のこと。私は「また薙刀が振れる」と思ったときは、本当にうれしかったですよ。
国体参加を念願に奮闘
戦後、国体が開催されるようになって、なぎなたも国体の競技にぜひ、入れたかった。その頃には全国どこの県でもなぎなたをやっておられる方がいて、東京の本部が働きかけたんです。みんな一生懸命で、先輩方がそれは尽力なさってね。大阪や東京の方々が、文部省に掛け合ったんです。正式に実現したのが昭和58年の「あかぎ国体」からでした。
その前、昭和50年に「静岡県なぎなた連盟」が発足しました。その組織を作る準備委員として、私も携わりました。でも最初は本当に会員が少なくてね、選手よりもまず、指導者を育てるところから始めました。私は当時55歳だったから、国体にしても選手にはなれない。初めからそういうところに力を注がないといけない状況だったので、選手としてやっている暇はなかったですね。しかし、私の生徒で何人か国体に出場しています。今は指導者として活躍してくれています。
なぎなたの魅力をもっと知ってほしい
なかなか人数が集まらなくて大変な時期もありました。昔、薙刀をやっていた人たちでも、戦前のそれと今の競技とでは違いますから「習ったものと違う」と言って戸惑う方もいましたよ。それでも同じようになぎなたを楽しむ人たちがいて、今も続いているんですね。
今のなぎなたは演技(形)と試合があります。隙を見せず、肝を据えて、背筋を伸ばして…始めたら面白くてやめられないんです。私は面白くて好きだから、続けてきたようなもの。
ね、みんな姿勢がいいでしょう。私にもできるかしら、と新しい方が来られるけれど、「その猫背を直さなきゃね」と言うんです。でも半年ぐらい続けていると、本当にきれいな姿勢になりますよ。
残念ながら「なぎなたって何?」という若い方もいて、もっとみなさんに関心を持ってもらいたいと思っています。来年から中学校の体育授業の中に武道が必修として入ると決まりました。なぎなたもぜひ、学校に取り入れてもらえるようにと努力しているところです。なぎなたに親しむきっかけになったら、と希望を持っているんです。そうしたら、授業の時に、礼儀や、こういうことをしてはいけない、というような、物の善悪も教えることもできると思うのです。なぎなたの理念に「なぎなたの修錬により心身ともに調和のとれた人材を育成する」とあります。思春期の大事な時に武道を経験できれば、人間形成に役立つと思います。
これからもそうなるよう、微力ながら頑張るつもりです。
取材日:2011.1