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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

老いを支える介護ワーカーは、
高齢者の生きがいを作る頭脳労働者。

見野孝子(みの・たかこ)

見野孝子(みの・たかこ)



株式会社LCウェルネス 代表取締役


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株式会社LCウェルネス

「介護」なんて言葉もないところから始めた

 ずっと以前から、在宅介護の仕事で自立したいと思っていました。子育てが終わった、36歳くらいのころからですね。
 夫の母が大腿部頸部骨折で入院した際に、付き添いをして排泄の援助をしました。母だけでなく、同じ部屋のほかの人のも手伝いましたが、生理的な嫌悪感をあまり感じませんでした。それで、「これはいけるかな」と思ったことが在宅介護を始めたきっかけかもしれませんね。ただ、いざ実際に在宅介護をやるにしても、わたしにはなにも経験がなかったので、いまの介護福祉専門学校の前身にあたる「ヘルパー学園」という学校に通いました。この学校は、病院のヘルパーを養成するところで、使ったテキストは准看護婦のためのものでした。当時は、「介護」が職業的に認められていなかったのですね。実際、ヘルパーは資格がいらないから、看護士の1/3の給料で雇えたわけです。でも、看護士も私たちも手は2本で同じでしょ。ヘルパーを医療の現場に組み込むことで、患者の快復がすごく早まった。病院はその結果を有効だと考えたわけです。賃金などのビジネス面も含めて。
 介護も医療と同等に、ひとの命に関わる大事な仕事です。だから、自分のなかでもやる以上はこの仕事に対する社会的認知度は欲しいと思った。いまでもそれは自分のベースですね。そのために、本当にこつこつとですが、講演会に出かけていって発言したり、本を書いたり、人財を育てたりしています。いまの会社は40歳のときにはじめました。

介護される側の尊厳を奪わないために

 人馬一体って言いますけど、介護を受けていると、自分の手足のように馬(ヘルパー)が走ってくれるような一体感が出てきます。例えば、あるひとが入院中に外泊でうちへ来る。すると、起きたいと思うときに起きられるようにしてあげて、トイレに行きたいと思うときに援助して、からだの向きを変えたいと言いだす間もなく変えてあげる―― 次第にそのひとは、なにも不自由がなくなって、もうわたしは自分でなんでもできるから「家へ帰る」なんて言い出したりします。実際には無理なんですけどね。そこまで持っていくことがいちばん上手な介護だと思います。でも同時に、1人の生活を丁寧に介護するということは、わたしたちが寝てないってことです。横たわっているけど、寝てない。もちろん、介護する側の都合に合わせて、食事も排泄の時間もコントロールした方が楽です。しかし、介護される側の尊厳まで奪ってしまう。介護する側は強いんですね、動けますし。実際、介護される側のひとの生殺与奪を全部握ってる。
 例えば、トイレにつれていく度に「汚い!」とか「早くしな!」とか、言い続けたら、言われたひとはどう思うだろうかと。からだが動かないだけで、頭はちゃんと動いているんですよ。きっと自分の気持ちをどんどん閉ざしていくでしょう。そうして、認知症や寝たきりが「作られる」こともあるのです。わたしは「介護」という言葉よりも「生き方をどうするか」がいちばん大切だと思っています。だからいかに介護される側に立って、どこまで共感的に理解できるか。時には、わたしたちが目線をちょっとだけ低くするようなアプローチもないとなかなか難しい。ベースになるのはコミュニケーション能力です。
 だから介護って、ただ後始末をするだけの、3Kの肉体労働じゃなくて、とてもイマジネーションが必要なクリエイティブな仕事だと思います。身体能力とか、知的能力、もっと言ったら、人間本来の力をどう向上させて行くか。人間の存在意義ですね。そのための総合プロデュースだと考えています。

人はひとりでは生きられないということ

 最近、本当に地域のなかでも孤立が多いですよね。ひとりぼっちにさせないための場所や仲間作りの時間をわたしたちも作っていますが、どうしても限界がある。それでやろうと思ったのが人材養成です。これまでに400人くらい育ててきました。このひとたちが「いきがいリーダー」として地域におりていって、高齢者のためのサロンを開いたりしています。
 例えば牧之原市では、一市で、年間にのべ1万2~3000人の高齢者に対して、この「いきがいリーダー」たちが自立的に関わり合いの機会を作っています。このひとりひとりの関わりによって、「生きててよかった」と思えるひとが、何人かずつでも生まれれば、なにもないよりはずっといいじゃないですか。
 生老病死は誰にも避けられない。でも、自分がいつか介護される側になるだなんて誰も思いもしない。ましてや若い時なんて歳を取った時のことなんて考えないですよね。もし話題にあがったとしても、やっぱりそこで語られることって、将来いくらかかるかとか、親の介護が必要になったらどうしよう、とかばかりで、「自分がそのときどう生きていく?」というところの話ってぜんぜんないんじゃないでしょうか。しかし、それではもう、世の中が回って行きません。高齢化社会と言われていますが、システムや意識がぜんぜんついていっていないんですね。だから、「高齢者はこういうものだ」という、あまりにも一方通行な考えになる。そこをもう少し相互通行にしないと。誰にとっても自分の問題なんです。だから、本当にいろんなひとに考えてもらわなくてはいけない。でも高齢者自身はあまり発言しないでしょ。だからわたしたちがもっと発信していかなければ、そう思うわけです。

取材日:2010.12



静岡県浜松市生まれ 浜松市在住


【 略 歴 】

1985 ホームヘルパーとして、浜松市社会福祉協議会へ就職
1989 有限会社ライフケア浜松創設
2001 デイサービス『ここ倶楽部』指定通所介護事業所開設
2003 株式会社LCウェルネスに社名変更

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