目指すは市民レベルでの対等な文化交流
私たちの団体は略称として「にほんごNPO」と名乗っていますが、正式な名称は「浜松日本語・日本文化研究会」。もともと「日本語や日本文化を研究したい」という人たちが集まって誕生した会なのですが、研究ばかりではつまらないから教えてみようということで、1991年、地域に住む外国人や日本人に向けて、日本語や日本文化の教室を始めました。
ところが実際に教えてみると、いろいろな問題点が見えてきました。いちばんのネックはやはり言葉です。私たちが目指しているのは「日本人と外国人が市民レベルの自然な形で対等に交流すること」。ですから、こちらが一方的に教えるというのではなく、お互いが勉強し合うというかたちで日本語教室をやってみようということになりました。「ここは日本。だから日本語を勉強して当然」とか、そういうことではないんです。パンフレットにもある「あいさつから始めよう」というキャッチフレーズは、設立当初から変わらない私たちの活動方針です。
設立から10年がたち、会員は85人くらい。NPOとしては多いほうだと思います。予算面で運営は厳しいですけれど。
ダブルリミテッド克服のためのサポート
「ダブルリミテッド」という言葉をご存知ですか? 母国語を完全にマスターする前に海外へ移住したために、母国語も現地語もきちんと理解できない現象です。私がこの問題に気づき始めたのは、NPOを立ち上げる以前、地元のブラジル人学校や公民館で外国人の子供たちに日本語を教えていたときのことです。
子供たちは家へ帰ると、家族とのコミュニケーションはすべて母国語。日本語を使うのは学校だけですから、どうしても語彙数が足りません。しかし学校の授業は日本語なので勉強についていけない。一方の母国語も、会話はできても勉強や仕事をするには十分な語彙がないわけです。
以前、知り合ったブラジル人の少年は小学校6年生でしたが、ポルトガル語は5~6歳レベル、日本語も小学校1~2年生レベルでした。そういう子供たちは、中学卒業以前にドロップアウトしてしまうケースが非常に多い。
一方、外国人で大学にまで進学できるお子さんたちは、親がすごく熱心で、それなりの援助や補助をしているケースがほとんどです。経済的なバックグラウンド、もしくは周囲の大人の精神的な支えが必ずあります。何らかの「出会い」があるんですね。
残念ながらそういう「出会い」がなかった子供たちは、一度日本社会に埋もれて、いろんな厳しさを味わった後、はたと自分で気づくんです。「もう一度勉強したい」そう思い始めるのが、だいたい17~18歳。でも中学を卒業していないと、日本の高校には入れません。中卒認定試験という大きなハードルを越え、さらに高校も卒業しないと、単純な肉体労働しか道がないわけです。職業訓練を受けるにも、看護師さんになるにも、高卒レベルの語学力と学力が必要なわけですね。
あるブラジル人の女の子もそうでした。中学をドロップアウトしそうだったところを説得して、なんとか3年生の1月に学校に戻して卒業させました。その後、ブラジル人学校で学び始めたのですが、今度はポルトガル語がわからない。お金もないしと悩んだ末、一緒に日本語の勉強を始めました。それが18歳のときです。
作文の書き方や面接の受け方、履歴書の書き方なども教えて、昨年、日本の定時制高校に入学しました。今では市役所の通訳の仕事もしています。高卒認定試験を受けて、早く卒業したいと言っています。頼もしいですね。
実はこの少女は中学3年のとき、「午前中は時間があるから電話してね」と言ったら、「午前中って何?」――そういうレベルでした。その子が今、通訳してるわけです。ダブルリミテッドが一生の問題となるか、一時的な問題で収まるか、頑張れば道が開けると思えるような「出会い」があるか、さらには実際に学ぶチャンスがあるか、それは個人の問題というより、社会全体が「学習権を保障するか」そういう問題ではないでしょうか。
ダブルリミテッドの問題でさらに恐ろしいのは、再生産されてしまうということです。ダブルリミテッドの親をもつ子供は、また同じ問題に直面し、いつまで経ってもマイノリティーのままになってしまう危険性が高い。日本社会でそういう階層化が進むのは良くないと思いますね。
人は誰でもみな可能性をもっています。その可能性を自己実現に向けて伸ばしていくには、やはり教育が必要で、その教育の基礎になるのが言葉なわけです。日本語に限らず、どんな言語でもいいから思考できる言語を1つは身につける必要があります。
安価な日本語教室をまちのインフラに
ダブルリミテッドという問題の背景を考えると、日本社会がそういう人たちに手を差し伸べられる環境でないという側面があるように思います。
浜松は日本でも有数の外国人が多い都市です。そこに日本語のわからない外国人がたくさんいるということは、「社会として困った状態にある」という認識がまず必要でしょう。私たちはNPOとして10年活動していますが、残念ながらいまだに場所の確保に苦労しているのが現状です。
住民の25人に1人が外国人という浜松のようなまちで、安価で多くの人に開かれた日本語教室は、一種のインフラとして整備していく必要があると思います。学びたい外国人が安心して学び続けられる環境を、是非ともまちを上げて整えていただきたいと思いますね。
こうした問題を解決することで、浜松が得るものは非常に大きいはずです。市民レベルでの国際交流が盛んになるでしょうし、人材育成を通した国際貢献が実現します。本当の意味での国際都市のあり方を、浜松が全国に先駆けて提示できたら、こんなに嬉しいことはありません。
取材日:2010.8