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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

交通死亡事故の遺族と正面から向き合う日々。
仕事を通じて、人との関わり方が変わった。

森日記(もり・にっき)

森日記(もり・にっき)



静岡県警察 清水警察署 交通課事故係


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静岡県警察

15歳での体験でそれまでの生活が一変

 私が警察官として職務にあたることになったのは、15歳のときに困難にぶつかったことが影響していると思っています。当時は、中学で始めたバスケットボールに熱中しており、将来は地元の人気チームでプレーできたらと希望を抱いていました。いくつかの大会で優勝することができ、高校にはバスケット推薦で入学したんです。ですが、入学して間もない4月に、靱帯断裂の怪我をして続けることができなくなってしまいました。最初はすぐに治ると思っていたのに手術がうまくいかず、「どうして私の怪我は治らないの」と考え、どんどんマイナス思考になっていってしまったんです。
 さらに、その数ヵ月後の夏の終わり、学校から自転車で帰るときに見知らぬ男に襲われました。必死で抵抗して逃げたので事なきを得たのですが、馬乗りになられ、首を絞められたんです。当然ですが、ぼろぼろになって泣きながら家に帰りました。当時は寝る前には必ずそのときのことを考えたし、現場を通るときも思い出さずにはいられなかったです。そして、だんだんと自分のことを責めるようになりました。「なんであのときあの場所を通ったんだろう」「ああしていればよかったのに」と。何もできない自分への、やり場のない怒りが常にありました。そんな中で、法律に興味を持ったんです。刑法などを学んで相手を裁きたい気持ちが芽生えました。私自身、何らかの力が欲しかったのかもしれません。
 バスケットができなくなってしまったこともあり、その後はひたすら勉強しました。毎日3、4時間は机に向かい、日々行われるテストに備えました。それでも、高校は進学校だったこともあって2年生の前半まではなかなか結果が出ませんでしたね。ですが、大学で法律を学ぶことを意識して努力し、静岡大学に合格することができました。
 高校でも大学でも、勉強やアルバイトに明け暮れて、サークル活動や飲み会といったことには無縁でしたね。積極的に人とかかわることを避けてしまっていた面もあります。やはり、15歳のときの体験が私の生活を変えてしまったのだと思います。

被害者支援では話を聞くことが大切

 警察官になったのは、法律の知識を生かせる職業を探していたときに、県警の募集要項を見てピンときたからです。面接の際には、過去の経験についても話をしました。私と同じような体験をした人を救うこと、加害者を逮捕することもできるのではないかという思いを伝えたのを覚えています。
 最初に配属されたのは焼津警察署。2年ほど交番勤務を経験した後、交通機動隊へ異動しました。バイク免許は警官になってから取得しましたが、面白いなと思い普段から乗っていましたし、交通取り締まりの意義も感じていました。それで、希望を出したんです。そこでは、白バイの大会に出場するための特別訓練選手となり、半年近く練習しました。初出場した大会では、それまでの県女性の中で最高位の6位。その後2回は結果が残せなかったのですが、後に後輩が2人優勝できたので満足しています。
 現在は、交通課の事故係として人身事故の担当をしています。被害者支援要員として、被害者の心のケアを重点的に行うことも大切な職務です。死亡事故被害者の遺族、3ヵ月以上の重傷者、ひき逃げされた方など、支援が必要な方のプライベートな問題にも踏み込む仕事なので、心を開いていただけるよう常に考えています。学んだことは、相手の話を聞くことの重要さ。機械的に説明をするだけでは、人間関係は生まれませんよね。相手の方は私のことを一警察官としてしか見ません。私の話ばかり押し付けず、まずは話を聞く姿勢を示せば、相手からも色々と質問が出てきて、信頼関係を築くことができるんです。その過程で、ご本人の心のもやもやがとれていくということが身をもって分かりました。交通の取り締まりをしていたときにも、違反した人がなぜそうしたかを聞き、きちんと話した上で法律について知ってもらったほうが素直に受け止めてもらえるし、その人の今後のためにもなると思っていたんです。事故係になって、「ことば」は大事だとあらためて感じましたね。

自分を評価してくれる遺族と出会って

 先日、私が書いた被害者支援の体験記が、全国の警察官を対象に行われたコンクールで最高賞を受賞したんです。そこで記したのは、被害者支援を通じて出会った方との交流です。その方は死亡事故被害者のご遺族でした。初めにいらっしゃったときは、捜査途中であるために、事故状況を知りたがっていたご遺族にとって満足のいく回答ができない状況だったんです。その方が帰るのを追いかけ声をかけると、その方は泣いていらっしゃいました。私は、拙いながらも捜査中であるがゆえに伝えられない事情がある旨を一生懸命説明したんです。とにかく泣きやんでもらいたい一心で。すると、気持ちをくみ取っていただけたのか「また電話していいですか」と言っていただけたんです。それからは何度も私あてに連絡があり、その都度、警察官として公平な立場に立ち、状況を説明しました。「この人の気持ちを楽にしてあげよう」とだけ考えており、特別なことをしている意識はまったくありませんでしたね。ですが、その方は私のことを信頼してくださり、私の体まで気遣ってくださるようになったんです。そして、本当に予想外のことでしたが、寄付までしてくださいました。交通事故で人が亡くならないようにしたい。警察に感謝しているから貢献したい。私の喜ぶこともしたい、とおっしゃってくださって。この言葉は本当にうれしかったです。
 警察官になるまでは、人と話すことが苦手で人間不信にさえ陥った私ですが、仕事を通じて変わることができました。様々な経験を持つ方々と深くかかわることで、人と話をすることが自然と楽しいと思えるようになったんです。上司に「森さんが当たり前に思う遺族への気遣いは、なかなか持てないもの」と言ってもらったのですが、それは、自分自身の経験があるからなのではとも思うようになりました。私が辛い経験によって得たもので誰かを救えるのだとしたら、幸せなことだと感じます。被害者支援とは、毎回違う対応が求められるものであり、相手の立場に立つことが必要です。私は警察官として、私自身にできることを考えて今後も臨みたいと思っています。

取材日:2011.1



埼玉県生まれ  静岡県静岡市在住


【 略 歴 】

     
1994 右膝前十字靭帯断裂をしバスケットボールを断念
1997 静岡大学入学 法律を学ぶ
2001 静岡県警察官を拝命
2004 交通機動隊に配属、白バイ特別訓練選手となる
2008 清水警察署交通課事故係へ異動
2010 被害者支援体験記が警察庁長官官房長賞を受賞

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