陶芸家への道はイギリス留学から始まった
美大でグラフィックデザインを勉強しているときから、どういうわけか陶芸をやってみたいと思っていました。何とかして陶芸の勉強ができないか、転科も含め模索したのですが、結果的にグラフィックデザイン科を卒業しデザイン会社に就職したんです。大手菓子メーカーのパッケージデザインなど、入社していきなり大きな仕事に関わらせてもらいました。でも2年たったとき「もうこれ以上自分をごまかせない。まだやり直しがきく」と、思い切って会社を辞め、イギリスに留学しました。ロンドンにあるセント・マーティンズ・カレッジ・オブ ・アート アンド デザインの陶芸科に入ったんです。
セント・マーティンズは、今でこそ日本人がたくさん勉強していますが、当時は私1人。日本の大学と違い陶芸科の生徒は全部でたった15人で、年齢も10~40代とバラバラ。いちばん驚いたのは、みんな1度は陶芸の経験があって、土を触ったことがないのは私だけ。最初は本当にどうしていいかわかりませんでしたね。今、あの頃のことを振り返ると、自分のデザインを土に押しつけるというか、グラフィックやパッケージデザインで積み上げてきた経験を、一生懸命、土を使って形にしようとしていました。
セント・マーティンズには1年半いました。実は、お金がなくなってしまい中退したんです(笑)。留学のために自分でためたお金が底をついてしまった。それで大学院を受けて、合格したら両親に援助を求めようと思いました。
90年に、英国王立美術大学院のセラミックス専攻に入りました。1クラスは8人。朝9時に作業場に入っていないと、学校の秘書から電話がかかってきます。「何をやっているんだ」と。ものすごく厳しい。というのもイギリスでは、課程修了と同時に、卒業生全員をプロとして仕事できるようにすることが、大学院の役割だから。1年から2年に進学するときもアセスメントがあって、他科の先生やプロの陶芸家も含め「1年後に、この学生を学校の名前で卒業させていいか」が査定されます。もし落第すれば留年はなし。もう1度受験し直さなければならない。
きつい2年間でしたが鍛えられましたね。クラスではごく普通の会話として「自分は陶芸の歴史に何を残せるか」という話をするんです。日本とは全然違うと思いました。
見る人それぞれの気持ちを受け止められる器
大学院に入るとき、論文で「アートとクラフトの境目」にいたいというようなことを書いたのですが、そのスタンスは現在も同じです。私は自分の作品を、美術館に置いてほしいと思いながら作ることはあまりなくて、むしろ誰かの家に置いてほしい。いわゆるファインアートだと、作品は「唯一の存在」でないといけませんけれど、私は「できるだけ多くの人が所有できて楽しめるもの」がいいと思う。それは、土という素材がもともともっている「人の暮らしにスッと入っていける」という特長とも無関係ではありません。
「アートとクラフトの境目」を形にした作品に、大学院在学中につくった「バナナ置き」(banana holder)があります。あるときロンドンの地下鉄に乗っていたら、ビシッとしたキャリアウーマンが、バッグからいきなりバナナを取り出してバクバク食べ始めた。とてもビックリしたんです。
「バナナ置き」には、文字どおり「バナナを置く」という機能がありますが、一方で「バナナだって、ちゃんと食べよう」という私の気持ちが込められています。どんなバナナも置けるよう、ものすごくたくさんスケッチをして、模型もたくさんつくりました。
「置く」以外にも、「バナナと向き合う時間をつくる」という機能もあります。自分のバナナ体験を思い出したり、誰かとの会話のきっかけになることがあるかもしれません。用途を果たすだけが作品の目的ではなく、逆の言い方をすれば、一見したところ何の役にも立たなそうなものでも「そこに存在していること」自体が、何らかの問いかけになることだってあると思うんです。
私は自分の作品を「こう見てほしい」「こう使わなきゃいけない」ということを押しつけたくなくて、受け取り方は見る人それぞれの自由にしておきたい。あえて言うならば、作品は「見る人それぞれの気持ちを受け止められる器」であってほしいと思います。
そういう用途の有無であるとか、どんな作品であるかは、見る人が自由に決めればいい。私は自分の作品を「こう見てほしい」「こう使わなきゃいけない」ということを押しつけたくなくて、受け取り方は見る人それぞれの自由にしておきたい。あえて言うならば、作品は「見る人それぞれの気持ちを受け止められる器」であってほしいと思います。
アートと日常を隔てる垣根を壊していきたい
日本はヨーロッパと比べると、アートと日常の間に高い垣根があるように思いますね。例えば、イギリスで美術館に行くということは、子供の頃からごく当たり前に生活の一部。私はそういう垣根を、できるだけ壊していきたい。
2001年に「38STUDIO」をつくったとき、自分のアトリエにギャラリーを併設したのは、ここをできるだけ開かれた、近所の主婦や子供が気軽に立ち寄れる場にしたかったからです。隣には小学校がありますから、オープンスタジオには是非、先生や子供たちに来てほしいと思っています。
静岡クリエーター支援センター(CCC)で行った「こどもデザインスクール」も、自分で考え、答えを導き出していくプロセスと発想を、デザインを通じて子供たちに体験してほしかった。アートやデザインは何か特別なものと思われがちですが、そうではなく、日々の生活におけるものの見方・考え方と切り離せないものだということを伝えたい。
もっと言うと、私自身、陶芸家という枠を超えて、子供たちの美術教育や一般の人向けのワークショップにも関わりたいと考えています。アートはもっと自由なフィールドであるはずなのに、アートの現場と美術教育は全く別個の世界のようになっている。私は作家として「こういう陶芸家」と自分を規定したくないし、作風すら決めたくない。器もつくれば、オブジェもつくる、「境い目(さかいめ)の住人」でありたいと思っています。
みんな違う100人を体感するワークショップ
2010年2月に、静岡市で「100人の100gのキモチ展-みんなちがう、土との対話-」を開催しました。08年から全国6か所で開催したワークショップ「100gのキモチ」に参加した人々による作品展です。100人それぞれが土との対話からつくった形は、1つとして同じものがない。それはもう、驚くばかりに違うわけです。「みんな違っていいよね」がメッセージです。
普通の陶芸教室だと「〇〇の作り方」を教えるわけですが、私のワークショップでは「土というのはこんな性格です」という基本的なことだけお話しします。「こういう性格ですけれど、どう付き合いますか?」というところから始めるので、みなさん「習う」というより自分との対話に入ってしまいます。
最初に100gの土を半分にして小皿をつくるんですが、もうこの時点で「あなたと私の、どうしてこんなに違うの?」って、参加者たちはお互い顔を見合わせてしまう。同じ50グラムなのに、全然違うものになっている。「みんな違っていいよね」ということを言葉で伝えなくても、参加者それぞれが自分の体験として感じてしまうわけです。
最後に、今のあなたと100gの土とでできる作品をつくってくださいと言って生まれたのが、「100人の100gのキモチ展」に並んだ作品です。私は「教える」というより、「この感じを一緒に味わいましょう」というガイド役ですね。
人間が「手でつくる」という行為には、ものすごく大きな学びがあります。それは「頭でわかる」こととは全く違います。手を動かして生まれた形は、自分とのコミュニケーションの結果ですから、頭のなかにあることが形として表れ、それが他の人とのコミュニケーションになっていくわけです。人間にとってとても大事な機能ですね。誰かに教わるのではなく、自分の手で考え、自ら問いかけ、答えを導き出していくということです。世の中の多くの人が、こういう人間本来の機能を取り戻していったとしたら、社会はもっと面白くなると思います。
実はこのワークショップは、1回限りのつもりで始めました。ところが最初の参加者のなかに、いろいろな問題があって学校に行けない少女がいたんです。土との対話を通じて、彼女は自分なりに感じることがあったのでしょうね。ワークショップの後、「学校に行きたい」と言い出して、それまで母親としか外出できなかったのに、1人で出かけるようになった。
そんなことがあって、これは1回きりでなく、あちこちでやってみようと。陶芸家として作品だけから発信するのでなく、いろんな人と直接関わるなかで広がっていくもの、シェアできるもの――そういうきっかけをつくることも、自分の作家活動であり作品なのだと、私自身が解き放たれたのかもしれません。
「焼かない陶器」が自分に教えてくれたこと
私は最近、「焼かない作品」をつくっています。土という素材は焼かない限り、水に戻せば再び土に戻すことができます。しかし焼くことによって、全く別の性質になるんです。人類が初めて化学変化を活用したのが陶芸だともいわれています。つまり化学変化を起こして作品をつくっている陶芸家は、同時に土を焼いてもとには戻せない物質を生み出すことに対し責任を担っているわけです。
こんなことを考えるようになったのは、ギャラリーの打ち合わせで東京に行ったとき、壊れたビニール傘がたくさん捨てられているのを見たのがきっかけです。東京はその日、冬の嵐のような天気でした。傘は強風で壊れたのでしょうね。ビルの谷間の吹き溜まりみたいなところに放置されていました。傘を製造した人たちは、傘がどうやって命を終えていくか考えているのかなと思ったら、自分も土を焼くのが怖くなってしまって……。
陶芸家なのに「焼かない」。それが2010年の個展「a girl in my pocket」で発表した初めての映像作品です。
私たちは失敗した作品やくず土は、焼かずに再び土に戻すため、水に入れて溶かします。完全に乾いていないとうまくいかないのですが、土が水に溶けていく様子は、とても静かできれいなんです。この様子を見せたいと思って、映像をつくりました。
個展の会場にも、焼いてない小さなカップをこっそりもっていきました。実はおっかなびっくりというか、焼いていない作品を販売していいものかどうか、迷いがあったんです。なぜこういう映像をつくったかをお客様に説明すると、実際に溶ける様子を見たいと言われて、困ったなと思ってたら、その中のお1人が「でも、それ、溶かすために作ったんですよね。だったら、焼いてなくてもちゃんと値段をつけてください」と言われて……いちばん保守的だったのは自分だということに気付きました。
そうやって人と接することでも、いろんな発見があるんですよね。作品を完成させた段階では、まだはっきりと見えていなくて、何かのきっかけで作品のほうが自分に教えてくれることもある。本当に不思議です。今までを振り返っても、そういうことが自分の次のテーマにつながっていくのだと思います。
最近、自分の仕事は、まだ見えていないこと、気付いていないことを形にすることなんじゃないか――そんな気がしています。
取材日:2010.8