牛乳寒天に「みかんが3つ」のわけ
1986年から弁当屋を始め、毎日とても忙しい毎日でした。子供が3人いますが、朝早くから夜遅くまで、おばあちゃんに預けっぱなし。だから母親として、せめておやつは手作りで、という思いが強かったんです。そこで、栄養がある牛乳を摂らせたいと牛乳寒天を作り始めました。最初はゼラチンを使っていましたが、寒天なら暑くても溶けることがありません。そして、忙しくてなかなか相手ができないけれど、せめてこのおやつに親としてのメッセージを込めることにしました。
私自身が一人っ子だったので、3人の子供たちにはいつも仲良くしてほしかったんです。なので一つの容器に子供の数だけみかんを入れました。一つのものをみんなで分け合って食べてほしかったから。それから、寒天寄せにみかんをいれると沈んでしまうものだけど、そこをなんとか工夫してうまく上に来るようにしました。いつも正面に出ることなく沈むこともなく、人様の役に立つように、との思いをこめて。
今でも、当社の牛乳寒天にみかんが3つ載っているのは、そういうわけです。そんなふうにわが子のために作ったものだったので、それが商品になるとは思いもしませんでした。
だれでも作れて、だれでも食べられる商品
そんな牛乳寒天ですが、子供の友達が遊びに来て「おいしい」と言ったり、弁当に添えたりするうちに口コミで広まっていきました。近所のパン屋さんに置いてもらったら、最初は2、3個だったのが、10個、20個と売れるようになり、スーパーでは「この商品はおいしくて懐かしい味」と好評だったり。同時に、病院で「これだったら辛いときにも食べやすい」と具合のよくない患者さんにも食べていただくようになりました。今では病院の先生や看護師さんが、食欲のない患者さんに「これなら食べられるよ」ってすすめてくれるそうです。それがすごくうれしい。時には「最後に口にしたのは、こちらの商品だけだった」と教えていただくこともあります。
本業である弁当も「添加物を使わない、体にやさしい」がコンセプトで、煮物のだしもすべて削りぶしから取った「お母さんの味」が基本です。寒天もそう。だれでも作れて、だれでも食べられるものでなければなりません。例えば最初の頃、香り付けにラム酒を入れていたんですが、あるお母さんから「ラム酒がなければ、赤ちゃんに食べさせたい」とお電話をいただいて。その次の日からラム酒を入れるのをやめました。
だから今でも、材料は牛乳と砂糖と寒天だけ。そして大なべでゆっくり火にかけて溶かして作ります。もちろん手間も時間もかかります。機械化して、高温で作る方法もないわけではないけれど、こうして作ると全然風味が違うんです。「お母さんの愛情を子供に伝えたい」という趣旨で作っているのだから、そこは絶対に譲れない部分ですね。
女性が65歳以上になっても働けるように。
今、社員約20人のうち、配送担当の男性2人以外は全員女性です。一番上の人が80歳。週に一度だけの勤務をお願いしています。その人が実にいい仕事をするんです。こちらが感心するぐらい、責任感が強くて手抜きをしない。70代の人も2人いて、こちらは週に3日ぐらいですが、張り合いがあるみたい。みんな働くのを楽しみに来ていて、とてもがんばってくれています。やっぱり女の人は必要とされると力を発揮しますね。バイタリティもあるんです。女性が65歳以上になっても働ける職場、そういう職場があってもいいんじゃないかなと思っています。だって、うちに閉じこもっているより、外に出ていきいき遊んだり仕事しているほうがずっといいでしょう?
今度工場を改装するんですが、新しく70・80代の一人暮らしの人々のお役に立てるお弁当作りを計画したいと思っています。そんなとき、お客様と同じ世代の人たちの意見がとても重要なんです。自分たちがどんな食事をしたいか、同世代なら分かりやすいですし、そういう人たちが作った食事の方が、受け入れてもらえやすいでしょう。同じ年代の人たちのお弁当を作るという仕事があったら、高齢になっても働くチャンスが出てくるんじゃないか。そう思います。自分がその年になっても働けて、社会に関わっていられるなら、それは一つの大きな目標ですよね。
でも、社会の役に立つことだけを考えるなんていうのも、やっぱりちょっと窮屈。だから小さな喜びを感じられればそれでいいんじゃないでしょうか。大きく考えればすごくグローバルで、でも、押し付けではなく、個人個人が考えて小さな喜びの輪が広がる。それには、生きるために必要で、楽しみの一つにもなる「食」が、一番身近じゃないかと思います。弁当も牛乳寒天も同じ。食を巡ってそういう輪が広がっていけばいいなというのが、今の私の願いです。
取材日:2010.12