静岡にはいいところがいっぱいある
家具製造卸業を営んでいる父の手伝いをしていました。人に会うことが好きでたくさんの人と出会い、町おこしなどの話題を熱く語り合っていました。そのころ、久米宏さんの「ニュースステーション」の中で、「静岡は保守的な町で、1坪のお店を出すのも難しい」と言っていましたが、違います。住みやすくていい町です。だから、「歴史だってちゃんとある。静岡のいいところを探してみんなでPRしていこう」と、話がまとまりました。これが、シズオカ文化クラブのはじめです。
1990年6月、シズオカ文化クラブが誕生しました。全共闘世代が社会に出て10数年が過ぎ、社会での立ち位置もなんとなく決まり、仕事以外でも地域に目を向けて何かやろうという時期の人たちが、集まりました。みんな議論するのが好きでした。
シズオカ文化クラブは、静岡の身近な文化・歴史・旬の出来事を取り上げて、「楽しく」をモットーにみんなで遊んでいます。遊びは、昔は自分がしたいことをするのが定義でした。みんなが、楽しく自分のしたいことをするとエネルギーが出ますので、20年続いているのではないでしょうか。退職し始めた団塊の世代が中心の会ですので、出席率がいいです。みなさんが参加型、笑い声が絶えません。
他団体とも連携して20年
NHKの大河ドラマで15代将軍徳川慶喜さんが主人公だった年がありましたが、駿府静岡での30年間がいっさいドラマの中になかった。それなら、私たちでその30年を掘り起こそうと思いました。1997年秋に「徳川慶喜と明治の静岡推進協議会」、愛称「けいきさんの会」が設立され、実行委員長が私で、シズオカ文化クラブが中心になり活動しました。オリジナルの慶喜弁当が出来て、シズオカ文化クラブ会員が演じる慶喜劇団が旗揚げして、江戸時代の武家茶道でもてなす柳営茶会が行われました。そして、一般市民対象の勉強会も20回各地で行いました。慶喜さんに関するたくさんのイベントを開催した縁で、木遣りの東嘉会など他団体との連携が出来て、会合や祝賀会のときなど「木遣りの会にきてもらおうか」と、今でも交流が続いています。
1年半の「けいきさんの会」が終わったら、NHKが今度は「葵三代」を大河ドラマで放送するというので、引き続き活動をすることになりました。1999年に「駿府まちおこしの会」が発足し、ここでも私が実行委員長でした。駿府城内を1年間借りて、明治時代初めに駒形通りに出来た芝居小屋「若竹座」を再現し、そこで365日さまざまなイベントを行いました。これは、すべてシズオカ文化クラブが仕切りました。今思うと、「よくぞやりとげた」です。私は音頭取りだけで、会員たちがワーッと盛り上がってワーッと突き進んでいくのが、シズオカ文化クラブ流です。
シズオカ文化クラブが20年も続いている要因は、私たちの中だけで楽しんでいるのではなく、いろいろの団体と連携して活動をしていることです。慶喜さんがあって、駿府まちおこしがあって、それにより他グループとの交流が深まり、現在も、何かあればすぐ阿吽の呼吸で協力してもらっています。
静岡には文化がないとよく言われますが、私たちはこの20年、文化を掘り起こしてきました。すごい文化があります。来年1月で180回になる定例会のネタは、つきません。
文化のとらえ方はいろいろあると思いますが、人の心を豊かに楽しくして、人間らしくしてくれるものを文化ととらえていいと思います。そうすると、静岡は泉が湧くごとく文化があります。
古くから残る町名は静岡の宝物
小さいころ一番影響を受けたのが、先祖が江戸時代から駿府の町に住んでいたという祖母でした。昔話を聞かされて、自然に歴史や文化に親しんでいったように思います。大学では日本史を専攻しました。今で言う「歴女」のはしりですよ。
駿府の歴史・文化に惹かれて、駿府96ヶ町の町名おこしをしています。静岡には古くから続いている町名があり、家康公が作った城下町・駿府96ヶ町の町名が半分も残っています。これは、全国でも珍しいことです。近年、古い歴史的な町名が見直されています。金沢市は行政が率先して3つの町名を復活させています。盛岡市は戦災に遭っていないので昔の建物は残っていますが、町名は消えています。
町名は、土地の歴史・文化と共にあります。町名を見ると、どのような生活が営まれていたか、どんな人が住んでいたかがわかります。今川時代からの町名「院内町」は、今川館に出入りする祈とう師が住んでいました。子供のころ、祖母が「いんないさん」と言っていましたが、祈とう師だったのです。当時は意味がわからなくて。「猿屋町」は、今川館で猿舞をする人が住んでいました。2つの町名ともそれぞれ昭和と大正に消滅し、今はありません。残っていれば当時の文化が伝わってくる貴重な町名になっていたことでしょう。また、呉服町は江戸時代以前には「本町」、本通は「元通り」と言われてにぎわっていました。
呉服町も本通りも600年前の今川時代に栄えたように、今も栄えています。ですから、町名をきっかけにして、江戸時代の駿府96ヶ町を大事にして、このエリアを核として、しっかり町づくりをしていきたいというのが夢。そのために、96ヶ町のことを知らない人も多いので、みなさんに話して回りたいと考えていますので、講演に呼んでください。本にまとめて出版もしたいです。語りと活字で伝えていきたいと思っています。
取材日:2010.12