専業主婦から「パンの耳」編集委員へ
結婚・出産後、長い間専業主婦をして、夫の転勤で静岡市に来ました。子供も少し手が離れ、そろそろ何か始めたい、そのためにはまず静岡のことを知りたい、と訪ねたのが「パンの耳」の編集部でした。「パンの耳」は静岡で活躍する女性をさまざまな角度から取り上げたミニコミ誌で、編集スタッフは主婦が多かったんですが、そこでの会話は次号のテーマや取材先の話。楽しそうでしたね。何より○○さんの奥さん、○○くんのママではなく、自分の名前で話し合い、自分の関心のある方に話を聞けることが新鮮でした。会議に出席したり取材に同行したりして、編集に携わるようになります。授業料を払わずにいろんなことを教えていただいている、そんな気持ちでした。
「第1期静岡ヒューマンカレッジ」を受講したときも「昼間仕事しながら夜に勉強する若い人がたくさんいるんだ」と刺激を受けました。ただ、他の受講者と話をしようにも、専業主婦の私には自分のことで話すことが何もなくて…夫や子供のことを聞かれると答えられるけれど、私自身には何もないんです。若い人にそう話したところ「努力が足りない」とはっきり言われました。反論するよりも、確かにそうだ、と思いましたね。学ばなければ、と。
目からウロコだった「男女共同参画」
男女共同参画を意識したのは、女性会館の情報誌の編集委員になったとき。初代館長に「もっと男女共同参画の視点を情報誌に入れてほしい」と言われたのがきっかけでした。ちょうど県の女性センター「あざれあ」で「男女共同参画アドバイザー養成講座」1期生を募集していて、役に立つかと基礎知識を学ぶことにしました。これが目からウロコが落ちるようでした。
これまで「専業主婦という立場は自分で選んだ、自己責任だ」と思ってきたけれど、社会の仕組みとつながっていて、性別役割分業が、私が苦しかった原因なんだと気づいた。例えば、夫の転勤について転居ばかりしていると、再就職なんて簡単にできないんですよね。
第1期の「アイセル女性カレッジ」受講時には「審議会」をテーマにレポートを書き上げ、女性議会で市長に直接質問する機会も得ました。そうやって少しずつですが、学んだことが社会につながり、次の活動へとつながっていったように思います。
アイセル女性カレッジの1~6期までのメンバーでNPO「男女共同参画フォーラムしずおか」を立ち上げたのは、女性会館に指定管理者制度が導入される2年前でした。メンバーはそれぞれ仕事を持っていましたが、今よりいい働き方になるならやってみようと。
移行期の業務受託の2年間は、行政の方針とやり方がよく理解できなくて、ジレンマも感じました。しかし、2年間でさまざまな仕事をしっかり理解し、平成19年に指定管理者となってからは裁量も多くなり、自分たちの思いを実現させていきました。
その成果のひとつとして、年間6000冊台だった図書コーナーの本の貸出が、1万冊を超えるようになりました。講座と連動させて関連図書を紹介したり、「図書コーナーだより」も読み応えのあるものにしたからです。
小さな組織なので決定が早く、失敗しても原因を追究して次に反映させられる。これは今も、私たちの強みです。
「楽しいだけ」に終わらせない取り組みを
数々の講座は今、ほぼ定員割れすることなく好評をいただいています。意識啓発に「カジダン・イクメン」という言葉もスタッフが考え、写真展も開催。「イクメン」はかなり浸透しましたね。
でも「わかりやすく楽しい」だけの講座では、問題や困難を抱えている人の解決にはなりません。女性会館という立場上、何か少しでも解決の役に立つことをしなければなりません。母子家庭に向けて就業のための講座を行ったり、健康支援では楽しいエクササイズだけでなく、乳がんの検診を受けてもらうこともしました。今の女性は何に悩んでいるか、今、どんな支援が必要なのか、常に考えています。
今年は「働きづらさに悩む」というテーマで、20~30代の女性を対象に講座を開いています。アルバイトや非正規雇用の仕事だけでは、なかなか経験として積み重ならない。自己肯定感を取り戻して、一歩踏み出す力をつけてほしい、そういう講座です。夏コースの参加者は、1カ月半後の終了時には表情もどんどん変わっていきました。難しい問題なので、私たちスタッフも力がないと支えきれないし、講座終了後にどう関わっていくかも大きな課題です。
静岡県内には女性関連施設が7カ所もあり、これは全国的にも恵まれた環境だと言えます。だからといって男女共同参画が実現できているかといえば…。やるべきことは今も、まだたくさんあると感じています。
取材日:2010.11