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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

ギフトは「愛されている」実感を与える手段。
思いを伝えるサービスで社会貢献を目指す。

白形知津江(しらかた・ちづえ)

白形知津江(しらかた・ちづえ)



メールdeギフト 代表取締役社長


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株式会社メールdeギフト
『メールdeギフト』
ブログ メールdeギフト
chii shirakata (maildegift) on Twitter

「こんなサービスが欲しい」が起業のきっかけ

 私たちが提供しているのは、メールアドレスだけでギフトが送れるサービスです。ギフトを贈りたい相手のメルアドさえわかれば、いつでもすぐに贈り物ができ、受け取る場所や日時は、受け取り側が指定できます。
 ギフトの渡し方には手渡しと配送、2つの方法がありますが、最近はアドレス帳を持ち歩かない人も増えてきましたよね。アドレスというと、ちょっと前まで自宅の住所が一般的でしたが、最近は携帯やパソコンのメルアドを使う頻度のほうが圧倒的に高い。アドレスの概念そのものが変わってきているんです。であればギフトも、住所ではなくメルアドへ贈れるようになるんじゃないか――そんなことを漠然と思っていたのがそもそもの始まりです。
 私自身、メールでギフトが贈れたらいいのにと思った経験が何度かありました。最初は今から10年ぐらい前、転職するとき、それまでお世話になった方々に感謝の気持ちを伝えたくて、ハンカチとかネクタイとか、ちょっとしたものを贈ろうとしたんです。ところがメルアドを知っていても住所を知らない人が結構いたんですね。メールに贈り物を添付できたらいいのにと思いました。
 最初の子供を出産して内祝いをしなきゃいけなかったときは、住所を探して贈り物をする大変さを身をもって感じました。初めての子供でいっぱいいっぱいなのに、年賀状や名刺をひっくり返さなきゃいけないし、「早く送らなきゃ」というプレッシャーもありました。やはり子供がまだ小さかった頃、気づいたら「今日が母の日だった!」ということもありました。ネットの注文だと今日中には届けてもらえませんし、忘れていたとも言いにくい。「すぐに贈れるサービスがあったらいいのに」と、結構探してはみたんです。でも、やはり思うようなサービスが見つからなかった。
 要するに「メールdeギフト」とは、私自身が欲しいと思ったサービスなわけです。

100メートル圏内の世界から脱出したい

 正直、「どうしてそういうサービスがないんだろう?」と不思議に思いました。誰でも思いつきそうなアイディアだと思ったんですね。まあ、それは「私が欲しいんだから、皆が欲しいに違いない」という勝手な発想ではあるのですが(笑)。その謎が本当の意味で解けたのは、自分が起業して、オペレーションの大変さを実感した後のことになります。
 起業したのは、子供が生まれて半年たった頃、静岡市の「SOHO*しずおか」で起業支援マネジャーされていた小出宗昭さんを訪ねたことが直接のきっかけです。いろんな方々が起業された事例をお話くださり、「静岡では普通の主婦が起業するんだ」とビックリしました。
 私は静岡に来る前、与論島で地域活性化の仕事に関わっていました。本当は、小出さんに地域活性の話がしたくて出かけて行ったのですが、逆に静岡の女性たちの起業について熱くプレゼンされてしまい、その流れで「そういえば私、アイディアがあるんですけど」と、メールで贈るギフトの話をしてみたんです。そうしたら「それはすごい面白いアイディアだ」とおっしゃるんですね。「じゃあ、もう少し資料をそろえて改めて伺います」とお約束して、ビジネスプランを示した冊子と、類似サービスをリサーチした情報の資料を作って持参したんです。そしたら「絶対いける、やった方がいい」、そう太鼓判を押されてしまった。小出さんはそういうふうに相手をのせるのが、本当に上手だと思いますね。
 一方で、その頃の私は、子供を産んだのを境に家とスーパーと公園、毎日半径100メートルの世界に閉じ込められたような気持ちでした。私は東京生まれで、仕事もずっと東京でしていました。大手広告代理店に勤務していたのですが、どうしても社会起業に携わりたくて、会社を辞め、2006年6月に与論島に移住したんです。結婚したばかりで、すでに妊娠していたこともわかっていましたが、夫は静岡に仕事があるので、1人で与論へ行き、まちづくりの仕事を始めたんです。
 しかし、出産のため半年もたたないうちに静岡に戻らざるをえなかった。プロジェクトは一段落したのですが、いろんなことをやり残したという気持ちがありましたね。当時は静岡に1人も知り合いがいなくて、赤ちゃんを連れて歩ける範囲は、家からベビーカーで歩ける100メートル圏内でしたから、ちょっとノイローゼ気味だったように思います。

決断から5カ月間で一気に準備して起業へ

 広告代理店時代に作った社会起業家のリストに、静岡でたった一人入っていたのが小出さんでした。子供が生後6カ月を過ぎて子育てがやや一段落した頃、小出さんに会ってみようと電話してみたんです。しかしいくら小出さんに太鼓判を押されたからとはいえ、起業するかしないかは、相当大きな決断でした。
 理由は大きく2つありました。1つは、ビジネスモデルは特許を取ることができないので、こういうIT系のサービスの場合、すぐに誰かに真似されて激しい競争を強いられる可能性があるということ。もう1つは、システムを自分でつくることができないので、かなりの額の投資を覚悟しなければならない。通常のサイトと仕組みが全く違いますから、外部委託でゼロから開発する必要があるんです。ざっと見積もっただけでも数百万円はかかりそうでした。実際、代理店時代にためた1,000万円くらいの貯金は、法人化する前に全部なくなりました。
 当時は、社会起業と比べると、それほどやりたいと思ってきたことでもないし、どうしようか悩みましたね。日々悶々としていたら、主人に「やってみなきゃ気が済まないのなら、やってみれば」というようなことを言われたんですね。そのひと言を主人は今、ものすごく悔やんでいるかもしれません。今の私は、自分の全エネルギーの9割が仕事に、残りの1割が家庭という配分ですから。6歳と4歳、2人の子供の子育てや家事は、彼の多大な協力なくしてありえません。
 起業を決意してからは、何をすべきかを考えるより先に行動していました。特許関係の書類をわからないながらも自分で書いて特許庁に申請したり、システムの構造図をフローチャートに書き起こしたり、ウエブのデザインにお金をかけるゆとりがなかったので、ホームページビルダーを買ってきて自分で作ることにしました。全然わからなくて、1カ月かかって1ページもできず、2カ月目にしてようやく最初の1ページができました(笑)。
 ギフトの商談や商品の覆面調査のために、子供を抱っこして店舗を回ったこともあります。ケーキ屋さんだと「ここはおいしい」とか「ここはダメ」とか、自分で出向いて確かめて、おいしかったらその場で声をかけるということをしたんです。大変でしたけれど、100メートルの世界で思い悩むことはなくなりました。
 小出さんにお会いしたのが2005年の6月。5カ月間でパーッと準備して、その年の11月には個人事業のかたちで「メールdeギフト白形屋」をスタートさせました。

現場に張り付いた経験が独自のノウハウに

 先ほどもちょっとお話しましたが、このビジネスでいちばん大変なのはオペレーションです。ビジネスとしての収益化が遅いんですよね。
 通常、インターネットで商品を用意してから取り引きがクロージングするまでは1週間ぐらいです。ところが「メールdeギフト」の場合、ギフトが贈られる側が受け取る・受け取らないを決めるプロセスが入るなど、取引終了までに長い場合、3週間くらいかかってしまう。1週間で通知が来ればまだしも、3週間たってもギフトを受け取ったというメールが届かないと、「どうなっているんだ?」「メールは開封されているのか」など、お客様から問い合わせが来てしまう。そういう場合、オペレーションも通常の2~3倍かかりますし、お金の回収も遅くなります。
 皮肉なことですが、起業して自分でオペレーションをしてみて初めて「なるほどな」と思いました。オペレーションに手間がかかるうえに資金回転が遅い。誰もやらないわけだと。注文数はそれほど多くないのに、ずっとパソコンに張り付いていなければならないんですね。
 最終的には、2007年に法人化したとき、オペレーションを自動化しました。どういうタイミングで、どういう状況のとき、何が発生するかを数値化しまして、トラブルを事前に防げるシステムに大改修したんです。1年半の間、現場に張り付いて、お客様の問い合わせに応対してきた暗黙知を形式知にしていったということですね。
 ギフトって大切な人にしか贈りませんから、注文されるお客様は本当にいろんなことを気にされるんです。お客様の不安を安心感に替えていかないと、サポートはどんどん大変になってしまう。ギフトにはいろんなセンスが求められます。細やかなセンスの積み重ねと、先回りしてお客様に安心感を与えるノウハウは、「メールdeギフト」のいちばんの強みだと思います。

流産の危機で気付いたギフトビジネスの役割

「メールdeギフト白形屋」を立ち上げ、1年半の間、1人でオペレーションしてみて、法人化するかどうかを悩んでいた頃が自分にとっていちばんの転機でした。2人目の子供がお腹にいて、切迫流産というんですが、流産しそうになって入院したんです。貯金も使い果たしてしまっていたし、「やめる」という選択肢もありました。
 一方で、助産師さんや子育てサークルの先輩ママなど、これまでの人生になかった新しい環境に身を置いたことで、「すべての人間は生物学的に未熟児の状態で生まれてくる。他の動物のように生まれてすぐに歩くこともできないし、自分で栄養をとることもできない」ということを教えてもらい、「確かに、人間は誰かに愛されていないと生命を維持できないし、誰かに思われていないと生きていけないものだよな」――そう思ったとき、ITのおかげで世の中が便利になっていく時代だからこそ、「人に愛されている」という実感を与えられるサービスが必要なんじゃないかと、ギフトはその1つの手段だと思ったんです。
 自分自身、精神的にかなり参っていて、救われたいという気持ちがあったのだと思いますね。ビジネスをやめて、心に問題をかかえる人を支える精神科医やカウンセラー、臨床心理士の道に進もうかとも考えました。でも、そういう仕事は1対1で会える人にしか自分が学んできたことを与えられませんよね。ビジネスなら、もっとたくさんの人に自分がつくり上げてきたものを活用してもらえます。
 思いつきではじめたビジネスではありましたけれど、よくよく考えてみたら、そういう社会起業的な側面があることに気付いて「今やっていることが、まさしく自分が長年やりたいと思っていたことだ」と、2つがぴったり重なり合った。病室のベッドの上だったのですが、その重なり合った瞬間を今もはっきり覚えています。

ビジネスの軸があるから困難も乗り越えられる

 広告代理店を辞めたのは、「自分が納得できる社会貢献に結びつく仕事をすべきだ」と思ったからなんですね。とはいえ社会貢献には本当にいろいろな形があって、その中で自分の人生をかける価値があるものを見つけたい、それは何なのかとずっと考えていました。広告代理店時代、社会起業家という人たちに片っ端から電話して、2カ月間で30人の方にお話を聞いたこともあります。
 でも、自分が何をすべきかについてはなかなか答えが見つからなくて、会社を辞めて与論島に行ったんです。与論島は広告の仕事で行ったのが最初で、その後もプライベートで数回行きました。人口6,000人ぐらいの小さな島なんですが、会う人会う人が「島のために生きてる」みたいな生き方をしているんです。自分が自分のために職業を選ぶんじゃなくて、「島に医者が足りないから医師になる」とか、「こういう離島こそITが必要だから、私財を叩いてパソコン教室を始める」とか、そういう生き方をしているんですよね。「この島はいったい何なんだろう?」と思いました。同時に「自分は本当に今まで人生のすべてが自分のためだよな」と――。
 与論の人たちの生き方を知った衝撃で、「社会貢献できる仕事がしたい」という気持ちが生まれました。これが、いわば私の原点ですね。与論島の素晴らしさを発信していきたいと思って、与論町の町長さんに直談判したんです。「私、会社をやめてここに来るんで、ボランティアじゃないポジションを下さい」と。わりと即決してくださって、「まちづくりアドバイザー」という肩書きを頂き、観光協会に席をつくってもらいました。
 直談判に行ったのが2006年4月。その6月に会社を辞めて与論島に行きました。ところが直談判に行ったとき、既に妊娠していたんですね。妊娠8カ月までしか飛行機に乗れませんから、10月には向こうを引き上げてきた。これからどうするのか白紙の状態で子供を産んで、小出さんと出会ったことでビジネスを始めることになって……。それが巡り巡って、やめようかどうしようか悩んでいたとき、思いがけない形で原点に結びついたわけです。
 そうやってビジネスの軸が明確になったことは、本当に良かった。株式会社「メールdeギフト」を設立してからも、大変なことは何度もありました。資金繰りが難しくて倒産しそうになったこともありましたし……。しかし「どうしてこの仕事しているんだろう?」と思うときでも、ギフトを通じて「人に愛されている」実感をもたらすサービスを提供したいという原点に立ち返ることができます。そのおかげで、今も会社を続けられるのだと思います。

「100%でない」という悩みがモチベーションに

 私は大学を卒業して広告代理店に入るまで、ずっとフリーランスで仕事をしていました。モデル、雑誌の編集、ラジオのパーソナリティーなど、いろんな仕事をしながら、「自分で行動を起こさないと生きていけない」「自分で人生の開拓をしなきゃいけない」ということを経験しました。フリーランスだと誰も教えてくれませんから、自分で考えて、自分で動いて必要な状況をつくり出していかないといけない。
 最近そういう話を学生にする機会があるんですが、就職ばかりが人生じゃないと思います。「何がしたいのか」「どういう形でやりたいのか」を明確にもっていれば、何でもできると思うんです。
 私は最近、このサービスを大きくしていくことが、自分にとっていちばん大きな使命だと感じています。とはいえ自分の全エネルギーの9割ですから、他の経営者より1割足りない。お客様や社員に対して、自分の時間を100%捧げきれないという負い目はありますね。うちのようなベンチャーに夢を託して入ってきてくれた社員のために、スキルアップもしてあげたいし、つたない経験ながらいろいろ教えてあげたい。時間外の研修など、やるべきことは全部やってあげたいんですが、子供がいるとそのあたりがなかなか思うようにいかないというジレンマがあります。
「100%でない」という気持ちは家庭でも同じです。「ママは夜、いないんだよね。また明日ね」みたいなことを言われますね。帰りが遅いので、毎朝、洗濯しながら3食分を作って家を出ます。自分のエネルギーの1割には違いないのですが、子供に使える時間は100%子供のために使いたい。
 仕事でも家庭でも、すべてに対して足りないというのが目下の悩みですね。家庭に対しても足りないし、社員に対しても足りないし、お客様に対しても足りない……。それが悩みには違いないのですが、プラスとマイナス両面あるかもしれません。足りないから「もっと」というモチベーションがつながりますし、社員や夫など、足りない部分を補ってくれる周囲の人たちに感謝の気持ちが生まれます。子供たちも「普通のママじゃないよね」という感じが当然あって、そのぶん良く育ってくれているかなと(笑)。
 与論の言葉に「尊尊我無(とーとぅがなし)」という言葉があるんです。日常的には「ありがとうございます」という意味なんですが、「自分を無にして、出会う相手や出会いそのものを尊び感謝する」ということですね。それが私の原点であり、「メールdeギフト」が提供するサービスですし、私自身、家族や社員や周囲の人たちに対してそういう気持ちで生きていきたいと思っています。

取材日:2010.11



東京都生まれ 静岡県静岡市在住


【 略 歴 】

     
2004 株式会社電通を退職
与論島の「まちづくりアドバイザー」に就任
静岡に生活の拠点を移し、長女を出産
2005 「メールdeギフト白形屋」を開設しギフトサービスをスタート
2006 第4回「SOHOしずおかビジネスプランコンテスト」最優秀賞を受賞
「静岡新聞社IT賞」を受賞
2007 株式会社メールdeギフトを設立
本社を東京に移転
静岡県男女共同参画社会づくり活動に関する知事褒賞チャレンジの部受賞
2010 「Japna Venture Awards 2010」にて「中小企業庁長官表彰」を受賞

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