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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

夫とともに起業して始まった第二の人生。
奥浜名の隠れた魅力を掘り起こし、農村を元気にする。

佐藤とよ子(さとう・とよこ)

佐藤とよ子(さとう・とよこ)



竜ヶ岩洞食堂「ふるさと」 店長
奥浜名レジャーランド 取締役常務


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奥山高原へようこそ

地元ならではの食材を「ここだけのメニュー」に

 観光関係の仕事をするようになったのは、今から10年前。夫の退職が近くなった頃、「奥山高原」というレジャー施設を引き継いでほしいという話があって、2000年に「奥浜名湖レジャーランド」を夫と起業したことに始まります。それまでは20年以上、結婚して、子育てして、子供の手が離れたころから事務職のパートをしていましたが、基本的に主婦。夫はずっと観光関係の会社に勤務していましたが、私にとって観光業は全く縁のない世界でした。まさしく第二の人生ですね。最初は遊園地の経営と、単に女性だからという理由でレストランの経営を担当することになりました。
 飲食業界の経験もゼロですから、以前から働いているスタッフの様子を見ながらノウハウを覚えて、そこに少しずつ私の思いを重ねて行きました。初心者ながらに最初思ったのは、地元ならではの食材を活かし「ここだけのメニュー」にすれば、お客さんにもっと喜ばれるんじゃないかということです。
 この辺にどんな特産があるかを調べてみたら、原木の椎茸があったんです。それで以前はメニューにあったという「椎茸バーベキュー」を復活させました。これは結構人気メニューになりまして、いまだに電話で問い合わせがあるほどです。
 もう1つは自然薯です。これは、たまたま自然薯の「生態系農法クリーン栽培」を目指していた人が求人に応募してきて、社長――つまり私の夫をくどいたんですね(笑)。「秋から冬にかけてお客さんが少なくなる時期にとれる自然薯を販売や料理に使ってみてはどうか、是非やらせてほしい」と。彼によれば四方を山に囲まれた環境は、その栽培法にぴったりだというんです。それは、今の「ふるさと」のメニューにもつながっているんですが、まあ、思ったより苦労はありましたね。最初の1~2年は細すぎたり、ちっちゃかったり……。「えー今年も失敗なのぉ?」って怒っちゃったこともありました(笑)。売れるのができてきたのは2~3年目ぐらいからでした。安定的に収量を確保するのは今も大変ですね。いざというとき自然薯を調達できるよう、最近はこの地域で自然薯を栽培している方々とのネットワークをつくっています。

おばあちゃんが摘んだ山野草が地域を変える

 この地域の豊かな自然をいかに味わい楽しむかについては、2年前に亡くなられた伊藤茂男さんから多くを学びました。伊藤さんは奥浜名地域のまちおこしではカリスマ的存在で、役場職員を退職された後、「つみくさ」という野草料理店をやっていました。野草の天ぷらがメインで、ヨモギ、山ウド、フキノトウ、タラの芽など、本当にこの辺にある野草を使うんですね。和え物や酢の物にすることもありました。 伊藤さんは役場の職員時代から、山の奥で採れた山野草を料理にして出したら、きっとここを訪れる都会の人たちが喜ぶだろうし、それが地域の活性化につながると考えていました。地元のおばあちゃんや主婦がとってきた山野草を活用しますから、それが人々の生き甲斐になるだろうし、お金が落ちることで生まれる小さな一滴の光が、地域を変えていく可能性につながるだろうということですね。そういう考え方を伊藤さんは実践しているところが、すごいと思いましたね。
「つみくさ」はとっても素敵な店で、私も憧れていたんです。それが、伊藤さんが地元・渋川の活動に専念なさることになって、せっかく生まれた新しい光を消すのはもったいないなと思っていました。「後を引き継いでやりたい」と思い、私が後任の店長を3年ほど勤めました。
「つみくさ」は、都市農村交流推進協議会が運営する「自然休養村」でした。残念ながら2005年にこの地域が浜松市に合併されるとき、協議会側の意向で閉店を余儀なくされました。でも、せっかく築いてきた地元食材を活かすメニューがもったいないということで、奥山高原内に「つわぶき庵」という店を開きまして、2008年に「ふるさと」を開店するまで、奥浜名の食を楽しんでもらうグリーン・ツーリズムの拠点の1つとして、いろんな活動をしてきました。

地域の仲間と始めたグリーン・ツーリズム活動

 伊藤さんと出会ったことで、私も「静岡県グリーン・ツーリズム協会」のメンバーになったんです。グリーン・ツーリズムというと、緑豊かな田舎に来て自然を楽しむだけと思われがちですが、その中には食もあるし、人との触れ合いもあるし、体験もある。2002年、伊藤さんを中心に「奥浜名のグリーン・ツーリズムをやってみたい」というメンバー5人が集まりまして、「カテキツト共和国」を立ち上げました。メンバーは、サボテンの寄せ植えの店「カクト・ロコ」の野末信子さん、キャンプ場「てんてんゴーしぶ川」を経営していた伊藤さん、餅つき体験や農産物の直売をしている「清水の里」の野末欽一さん、「つみくさ」、のちに「つわぶき庵」の店長となる私、それに養豚農家で農家レストラン「とんきい」の鈴木芳雄さんの5人。5人の店の最初の1文字を組み合わせて、「カテキツト」と命名しました。
 「カテキツト共和国」では、地域に埋もれた宝物を掘り起こし、できるだけたくさんの人、特に都会から訪れる人たちに楽しんでもらおうと、季節ごとにいろんな企画を催しました。
 例えば、引佐町には江戸時代から200年続いている「横尾歌舞伎」という農村歌舞伎があるんです。役者は地元の保存会や小中学生、三味線や義太夫も長年練習を積んだ地元の人たちで、かなり本格的なんですね。こんな素晴らしい伝統芸があまり知られていないのはもったいないということで、年に1回、10月の公演に向けて国民宿舎を押さえ、餅つき体験やお買物なんかも組み合わせて、2004年から3回ツアーを募集したんです。静岡県内を中心に毎回数十名のお客さんが集まりました。近年は2日間とも満席というほどの盛況ぶりです。それまで地元でしか知られてなかったのが、私たちのツアーがきっかけとなり、最近は噂を聞きつけた愛好者が全国から集まるようになりました。
 他にも、細江町に伝わる「姫様道中」、奥山高原の「昇竜しだれ梅」……。あと、この辺りは山間部の農村ながら集落ごとに古いお堂が残っていて、中には江戸後期の木彫作家・木喰(もくじき)の作品なんかもあるんです。お堂や神社、仏像など、奥浜名の隠れた名所を巡るツアーもやりました。どの企画も、それなりに反響があって、知名度向上という点ではかなりうまくいったんです。
「もうこのぐらいやれば、きっと誰かが引き継いでくれるよね」というところで、私たちは手を引きました。私たちの目的は当初から「掘り起こし」ですから、ツアーで儲けていくつもりはなかったんです。横尾歌舞伎にしても姫様道中にしても、今は旅行会社がツアーを組んでいますね。「カテキツト共和国」の活動が、そういう地元の観光基盤をつくったのだと思います。

携帯ゲーム「コロプラ」で若者世代の観光客を

 食堂「ふるさと」は、もともと竜ヶ岩洞が経営していたレストランでした。ところがレストラン経営まで思うように行き届かないという話を聞いて、「うちでやらせてもらえますか」と打診したら「いいですよ」と。それでメニュー全般を見直して自然薯料理を始めました。「ふるさと」は立地的に、鍾乳洞を見に来るお客さんが利用してくれる強みがあります。ターゲットを観光客に絞れますから、そういうお客様が「またとろろ料理が食べたい」と思ってくれる仕掛けが必要ですね。
 その1つとして、今年10月から「コロプラ」と呼ばれる携帯電話位置登録ゲーム「コロニーな生活PLUS」の提携店になりました。これは仮想空間内に自分のコロニーを作るゲームで、全国に150万人のユーザーがいるんだそうです。コロニーに家を建てたり、まちをつくるには、ユーザーの実際の移動距離に応じてもらえる仮想通貨「プラ」が必要なんですね。うちのようにスポンサーとなっている店で対象商品を買って「コロカ」というカードをもらって、特別なバーチャルおみやげがもらえる、ということです。
「コロプラ」を知ったのは、半年以上前。たまたま見ていたNHKのニュースで知りました。なるべく遠い場所に行くほど「プラ」が稼げますから、うちのような山の中はぴったりだと思ったんです。僻地ほどいいんですね(笑)。「うちには他にはない自然薯があります。是非提携させてほしい」と、早速ゲーム会社にメールしました。ニュースの報道を見て問い合わせは殺到したと思いますよ。だって、それまでお客さんが来なかったような千葉県の盆栽屋さんの売り上げが3倍にも4倍にもなったということですから。
 スポンサーは1都道府県内で4~5店舗という制限があって、全国200店舗を目指しているようです。「ふるさと」は73店目で、静岡県初ですね。エントリーしてから審査結果が出るまでは長かった。お客様がわざわざ行く価値があるか、満足していただける商品があるか、地域の活性化に本当に貢献できる会社かについて、ゲーム会社の方がここにいらして見て行かれました。本当にいいものかどうかは、実際に食べてみなきゃわからないですからね。最終的には、ゲームユーザーが訪れることで地域の人々が潤うということが大きな目標だと聞いています。
「コロプラ」のスポンサーになって、目に見えてお客様が増えています。10月は来客も売上げも前年比で2.5倍。特に週末は行列ができて、厨房はてんやわんやです。特に若い人が増えましたね。そういう新しい仕掛けも今後は必要だと実感しています。

農家と連携し田舎ならではの魅力をアピール

 私もそうですが、この辺りに住んでいる人たちは、「地産地消」という言葉ができるずっと前から、ごく普通に地元のものを食べてきました。何の特別な考えもなしにね。だってお刺身は近くの漁港でとれますし、ウナギなんかも食べ放題みたいに豊富にありました。お米は近所で作っているし、嫁いでからは姑が畑で野菜を作っていました。奥浜名はもともと半農半漁なんです。わざわざよそから来るものを食べる必要がないわけですね。
 ところが全国的に見ると、そういうことがだんだん難しくなっています。でもここにはまだ地元の食材を振るまえる素地が残っていますから、レストランとしては本物を食べていただいて、楽しんでもらえるのがいちばん。都会で暮らす人にとって、働くためのエネルギー源をもって帰れる場所、第二の故郷のような「帰ってくる場所」になれればいいなと思います。都心からそんなに遠くないですしね。
 大切なのは、こういう活動を継続させていくことです。続けられるかなという危機感はいつもありますが、辞めてしまうのは簡単ですよ。自分たち以外に困る人はいないかもと思うこともあります。でも10年間やってきた積み重ねや人とのつながりがありますからね、何とかしたいし、何とかできるかなと思っています。
 グリーン・ツーリズムも、最近よく言われる「着地型旅行」や「地旅」にしても、地元の人々、中でも農家の期待が大きいですね。私たちとしても、農家の人たちと協力してやっていきたい。田舎で何か体験するという場合、農家との連携は欠かせませんから、観光と農業は今後ますます密接な間柄になっていくと思います。
 一方で私たちがやっているように、自然薯を自家栽培し、販売もして、調理して提供するという、一連のつながりがお客様に見えるスタイルも、食のあり方としてニーズが高まっていくのではないでしょうか。地元の農家との連携を強化していけば、気軽に立ち寄れる産直カフェのような業態も可能だと思っています。私たちも農家も潤い、しかも都会の人たちに喜んでもらえる――そんな地域の取り組みのために、自分のこれまでの経験も役立てながら頑張って行きたいです。

取材日:2010.11



静岡県浜松市生まれ 浜松市在住


【 略 歴 】

2000夫とともに株式会社奥浜名湖レジャーランドを起業
2002自然薯の自家栽培をスタート
野草料理店「つみくさ」の経営を開始
仲間とともに「カテキツト共和国」を設立
2005「つわぶき庵」開店
2008竜ヶ岩洞食堂「ふるさと」開店
2010「うなとろステーキ」が浜松うなぎスタジアムで最優秀賞に
農林水産省「地産地消の仕事人」に選定される

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