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本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

夢の挫折が転じて開けた新しい道。
最先端の光技術がもたらす「光と女性が主役の農業」。

岩井万祐子(いわい・まゆこ)

岩井万祐子(いわい・まゆこ)



ホト・アグリ 代表取締役


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株式会社ホト・アグリ

光栽培が生んだ新鮮なサプリ「リッチリーフ」


 私は2005年に「ホト・アグリ」という会社を立ち上げまして、現在、約400坪のビニールハウスで、アカジソ、アオジソ、エンダイブ、ルッコラ、ミズナ、シュンギク、サラダホウレンソウなど、26種類のサラダ用野菜を栽培しています。商品名は「リッチリーフ」。地元・浜松エリアの量販店やレストランに卸しています。スタッフは社員が2人とパートが4人。全員女性で、その他に地元の知的障害の子たちが職業訓練という形で手伝ってくれています。
 「リッチリーフ」は、「生きている生のサプリメント」を届けたいという思いで開発した商品です。他の野菜と違うのは、一部の野菜に栽培期間中、太陽光の他に赤や青の人工光をあてている点ですね。そういう光を一定時間あてることで、ポリフェノールやビタミンといった植物に含まれる機能性成分を増やすことができるんです。この辺りの研究を、私は大学院でしてきました。
 世の中には錠剤やドリンクタイプなど、いろいろなサプリメントが出回っていますが、食べ物以外から栄養素を摂ることに抵抗を感じる人もいると思うんです。一方、サプリメントの成分のなかには植物由来のものも結構あるはずなのに、野菜の場合、何らかの効果がうたわれていることはありません。であれば、サプリメントのように健康や美容によく、安全・安心な生野菜に対するニーズはあるんじゃないか――というのが、「リッチリーフ」開発のきっかけです。
 私が目指しているのは、「光と女性が主役の農業」です。家庭と仕事の両立は、4歳の息子ともうすぐ1歳の娘がいる私にとっても大きな課題なので、家庭があっても働きやすく、女性の細やかさや女性ならではの視点――たとえば、この野菜とこの野菜を組み合わせるとおいしいんじゃないかというようなアイディアが活かせる農業を、ホト・アグリの光の技術を活用しながら展開させていくのが、私が目指す農業なんです。

海外青年協力隊の農業支援が小学生以来の夢

 でも、最初からこういうコンセプトで農業をやろうと思っていたわけではありません。大学時代は国際農業開発学科で、稲の研究をしていました。もちろんお米をつくるのに光は必要ですけれど、光とはまったく関係のない分野を勉強していたんです。子供の頃からの夢は、海外青年協力隊(JICA)として途上国で農業支援すること。農業系の大学に行ったのも、そういう目標があったからです。
 両親は私が小学生のときから「視野を広げるために」と、定期的に海外へ連れて行ってくれました。行き先はインドネシアやタイなどアジアが中心で、観光スポットより昔ながらの生活が残る田舎を訪ねるのが父の考えだったようです。父は自営で造園業をやっていまして、母は専業主婦です。
 旅先で目に入って来るのは、自分と同年代の子供が、学校へも行かず田んぼや畑で農作業している風景です。「なんでこの子たちは学校へ行かないのだろう?」と思いました。同時に、裸足で走り回っている子供たちの姿を「のどかで素敵だな」と感じたんです。農業に対する憧れと、アジアの子たちが学校に行けるようになるにはどうすればいいのかという気持ちが、いつしか芽生えて行きました。日本のような農業技術があればあの子たちも学校にいけるんじゃないか、自分も農業がやってみたい――その夢が、長いこと私の原動力になりました。

卒業研究の合間に単身でアジアへ農業実習

 東京農業大学に入学したときは既に、「ここで4年間勉強して途上国へ農業支援に行くんだ」と心に決めていました。1年生で研究室に入り、卒業研究は3年生から始め2年間かけて仕上げました。テーマは、稲の成分と栽培方法の関係。同級生に比べても勉強や研究には熱心だったと思いますね。
 研究の合間をぬって、インドネシアやタイの農場へ実習にも行っていました。最初は学校を通した海外農業実習でしたが、その後は知人を頼りに単身で出かけて行きました。1~2カ月ぐらい滞在して、現地の人と一緒に働くんです。もちろん無償です。電気もない日本とは全然違う環境でも、私、全然平気なんです(笑)。在学中に3回行きました。
 学校では最先端の農業を勉強していましたから、アジアの農村を見ると技術的なギャップは明らかで、改良の余地はたくさんあると思いました。もっと自分が勉強して、教えられることは山ほどあると。ときどき堆肥の作り方とか、果物の収穫にハサミを使うことを提案したりということもあったんです。でも学んだことを活かすという自己満足はあっても、正直、現地の人に喜ばれるということはなかったですね。私がどんなに一生懸命教えても、相手は単なるコミュニケーションとしか思っていない。「日本人が来た、ちょっと楽しいな」ぐらいなもので、次に来てみると何も変わっていないわけです。「これが現場か」と思いましたね。
 ところが4年生になって、いざJICA試験を受けようと思ったら、母親に大反対されてしまった。ちょうどアメリカの同時多発テロに始まり、世界的に治安が悪化していった頃だったんですね。大学の先輩の中にもJICAの派遣先から病気で帰国したり、中には亡くなられた方もいたりという話を聞いて、「そんな危険なところに娘は行かせられない」と猛反対されたんです。それで方向転換を余儀なくされて、「とりあえずどこか会社に入って、母の気持ちが治まったら、また挑戦すればいい」と思うことにしました。

長年の夢がついえた後に開けた研究への道

 浜松ホトニクスは、最初に受けて内定をもらった会社です。就職活動をしたのがちょうど卒業研究に没頭していた時期で、「研究職も向いているかも」と思いはじめていました。
 私が入社したのは、ホトニクスがちょうど「光と植物」の研究をスタートした頃。今でも忘れられないのは、入社2日目の研修で、「フォトン」、日本語だと「光子(こうし)」と呼ばれる光の粒を見せられたときのことです。ホトニクスが開発した特殊な装置を使うと、葉っぱの表面からぽつぽつ光が出ているのが見えるんです。本当にびっくりしましたね。植物は光合成のための光を太陽光からもらうわけですが、余剰分を葉の表面から出しているんです。その微弱な光を積算していくと、だんだんキレイな葉っぱの形の光になる。「すごいな」と思いましたね。
 実はフォトンは、植物が発する何らかの信号なんです。例えば、農薬が大量に散布された葉っぱは、非常に多くの光を出しています。植物が「助けて」と悲鳴を上げているんですね。水分が足りない場合も同じです。健全な植物にそういう現象はないんですが、SOSを発している葉っぱからは、真っ赤な光がものすごいスピードで出ている。葉っぱの症状を読み取ることで健康状態がわかるわけです。さらにで、新しい技術につながってくんですよね。その1つ1つのミツコちゃんていう光が。そういう現象を実際に見たことで、光と植物の関係を研究してみたいと思うようになりました。
 私が携わったのは、閉鎖空間で人工的な赤い光と青い光を使い、稲を栽培する研究です。ここ数年、植物工場が脚光を浴びていますが、その先駆けとなる研究ですね。人工光で本当に実がつくのか、屋外で栽培する場合と比較しどんな違いがあるのかを研究しました。
 しかし入社4年目のとき、どうしても長年の夢が諦められず、親には内緒でJICAの試験を受けたんです。会社が終わった後、夜中に勉強して。そしたら1次の学術試験に受かってしまったんですね。ところが「これはもう行くしかない!」と思ったとき、健康診断で引っかかってしまった。太陽アレルギーだったんです。それまでの数カ月間、浜名湖花博のために朝から晩まで屋外で仕事をしていて日光に浴びすぎたのが原因で、一時的なものだったのですが、外に出られない病気ですから諦めざるをえなかった。
 それはもう落ち込みましたね。「今回を逃したら、2度とチャンスはないだろう。なのにどうして……」と思いました。一方で、JICAに申し込んでしまった手前、「もう会社には戻れないよな」という気持ちもありました。 ちょうどそのとき、ホトニクスが光産業創成大学院大学を開校したんです。大学院に入るには起業が条件でした。自分で会社をつくってビジネスをやれば、青年海外協力隊とは違ったかたちで、海外で仕事ができるかもしれないと思いました。夢はまだ継続できるかもしれない――そんな思いで、大学院への出向に手を挙げたんです。

研究者の枠を超えて「現場で使える技術」を

 2005年は私にとって大きな転換の年でした。4月に光産業創成大学院大学に入学、6月にホトニクスの先輩と結婚、9月に株式会社ホト・アグリを設立したんです。大学院では「リッチリーフ」の開発につながる「光と植物の機能性成分の関係」について研究を始めました。博士課程は本来3年間なのですが、私は長男を出産するために産休を半年間とったので、博士論文が通るまでに4年間かかりました。
 研究と並行してビジネスもスタートさせまして、最初の1年間は、浜松地区の農家を回って栽培用の光を売っていました。「光を売る」と言っても、装置そのものはホトニクスが開発したものです。その機械を使って野菜などを栽培するノウハウや技術が、ホト・アグリの商品なんです。ホトニクスから技術を提供してもらいながらビジネスをするという契約を、ホト・アグリの設立時に結んでいるんです。
 例えば、トマトの苗に花芽をつける「花芽分化」というプロセスがあります。本葉が何段になるまでに花芽をつけたいというのを、光の強度や光質などでコントロールできることもあるんです。他にも、サニーレタスの葉に赤い部分がありますよね。冬は強い太陽光があたっていれば間違いなく赤くなるんですが、夏の間は暑さのために赤くならない。それで赤くするために紫外線を使うのですが、どの程度の紫外線をどういうタイミングであてればいいか――これも技術なわけです。
 農家さんを回って「私、こんなことができるんですけれど」って話をすると、皆「すごいねえ」とは言ってくれるんです。でも最終的に「で、それいくらなんだよ?」っていう話になったとき、「ところで、その技術で野菜を作ったことあるの?」と聞かれるわけです。「はい。研究室では」と答えると、苦笑いされて万事休すです。そんなことが何度かありました。
 あるときもトマトを栽培している農家さんで、「うちらが作りたいのは、こんなちょこっとじゃないんだよ。見てみろよ。これだけの面積の苗を作るんだよ。あんたが言う技術をつかったら、いくらになるんだい」って言われたことがありました。「はぁ」と答えるのが精一杯でしたね。悔しかった。技術があるのに普及しない。それは学生時代、アジアの農村で味わったのと似た「技術があるのに役立ててもらえない」というジレンマです。実際、当時の私は、モノの値段とコストには全く無頓着でした。「研究者」という壁を乗り越えなきゃいけないということを痛切に感じました。
「私も自分の農場をもとう」と思ったのは、その直後です。運良く空いている農場が見つかって、すぐに借りることにしました。思い立ったら、私、素早いんです。農場を借りて「さて何を作ろうか」と思ったとき、まずは悔しかったトマトに挑戦してみようと。でも、やっぱうまくいかなくて、「これは人を呼べるトマトじゃないな」と思いました。
 当時の自分は、やはり栽培技術が伴っていなかったんですね。研究レベルはともかく、栽培向けの規模になると、知らないこともいろいろありました。規模を広げるには人材も投入しなきゃいけないわけですが、その頃はまだ、それに見合う実力がいろんな点で備わっていなかったんですね。どんな仕事もそうですが、自分1人でこなせる範囲には限界があります。なかば諦めつつも、「何か女性らしくて魅力的なものはないかな」と考えていたとき、ふと「そうだ。私はサラダが好きだな」と思ったんです。それで農園内の温室ベビーリーフの栽培に完全に切り替えました。その決断が「リッチリーフ」の誕生につながりました。「リッチリーフ」は2008年、「しずぎん@gricom(アグリコム)」の優秀賞を受賞しました。

害虫のピンチをチャンスと捉えて新技術が誕生

 ところが同じ2008年の夏、想像もしなかった事態が発生したんです。害虫が大量発生したんですね。「最近やけにムシが多いな」とは思っていたんです。でも、そう思いつつも去年も大丈夫だったし、放っておけばいなくなるかなくらいに思っていたんです。それが6月のある朝、温室を開けたら野菜のほとんどが虫に食い荒らされている。「ああ、これはもうダメだー」と、生産中止して、他の植物は全部抜いて、蒸気消毒して……1ヶ月間は収穫も出荷もゼロでした。
 ところが虫が食い荒らしたところをよく見てみると、被害に遭っているのは光があたっていた部分だけで、他は何ともないんですね。「夜盗虫(ヨトウムシ)」というんですが、光に集まる習性があるんです。それまで講演会などで「光ってすごいですよ」なんていう話をしていたんですが、光のマイナス面については、自分が被害に遭うまで気付けなかった。最初は「わー最悪だ。これはもう商売として成り立たんな」とガックリ来ましたが、「ちょっと待てよ」と思ったんです。「光に虫が集まるのなら、光で虫をおびき寄せる装置を作れば、農薬の代わりになるかもしれない」――そう発想を転換してみたら、「これはチャンス!ビジネスになる」と気付いたんです。結局その1ヶ月間は売り上げゼロでしたが、すぐにまた種をまいて順調にもとの収量を取り戻すことができました。
 被害に遭った現場を見たとき、「ああこれが世の中で起きている害虫の問題なんだな」と思いました。自分の現場をもつことの重要性を、改めて感じましたね。実はその後間もなく、再び害虫が出たんです。実験も兼ねて、開発した装置でおびき寄せてみたところ、上手くいきまして、現在、光を活用した害虫除去はメイン事業になりつつあります。

研究者として尊敬する夫は絶対に必要な存在

 現在、起業して5年目になります。2009年までは大学院の研究や害虫被害などもあって、なかなか売上げが伸ばせませんでしたが、博士課程を無事修了してビジネスに本腰を入れられるようになった2010年からは、耕地面積を増やしたこともあって、売上げが前年比約10倍に跳ね上がりました。
「リッチリーフ」は当初13種類でスタートしましたが、現在は26種類の野菜が入っています。「リッチリーフ」を使ってくださっているレストランの料理長さんは、「あんたの作った野菜はおいしいね」とよくお電話を下さるんですが、そういう声を聞くと「もっとおいしいのを作ろう!」という気持ちになります。
 自分がここまで来ることができたのは、周囲のたくさんの方々のおかげなのですが、なかでも浜松ホトニクスの晝馬輝夫理事長の存在はとても大きいです。光の可能性を知って人生がこんなに変わってしまったわけですけれど、これは晝馬理事長の存在なくしてありえなかったことです。
 起業した翌月、晝馬理事長に「お前さん儲けたか」と聞かれたんです。「儲けるも何も、まだ会社設立したばかりなのに……」と内心思いましたが、理事長がおっしゃったのはそういう意味じゃないんですね。「儲ける」というのはお金のことではなく、「いかに自分だけのノウハウ、口では説明できないような暗黙知をためこんだか」という意味なんです。理事長の言葉は、他のどんなビジネス書よりも自分の血肉になっていると思いますし、ホト・アグリでいろいろな経験をするなかでどんどん重みを増しています。
「とにかく現場をもて」ということは、私が農場をもつ以前から理事長が常々おっしゃっていたことですし、「日々の仕事の中で素朴な疑問をもつようにしなさい。それが暗黙知につながるはずだ」も、害虫被害に遭ったとき、自分の実感になった言葉です。ホト・アグリの使命は、「ただ起業してお金儲けしようとすることがお前の仕事じゃない。農業を活性化するために、光を導入して、新しい産業を生み出すのがお前さんの仕事だ」という理事長の言葉そのままです。
 夫も、私にとって絶対に必要な存在です。研究者として尊敬していますし、彼のサポートなしに、仕事と研究と家庭の3つをこなしていくことは不可能でした。家事は本当によく手伝ってくれますね。夜中に目が覚めて、洗濯物が全部干してあります。ときどき私が講演の資料なんかを作っていると、間違いを指摘してくれることも。子供を寝かしつけた後、仕事や研究の相談をすると、「家に帰っても仕事か」と冗談まじりに言いますが、「よく頑張るね」と応援してくれています。

子育ても仕事も時間をかけてコツコツ育てる

 今後は、「害虫被害ゼロ」という農家さんを増やしていくことが大きな目標ですね。「岩井の技術で虫がいなくなった」とか「虫のことなら岩井に聞け」と言われるようになりたい。害虫を光で克服できれば、それぞれの農家さんが長年にわたって培ってきたおいしい作物を育てる技術が、いっそう活かせるようになると思うんですね。さらに、より多くの農家が購入できる光技術をどんどん開発して、その普及にも努めていきたい。
農業の現場は、いまだに深刻な高齢化から脱することができません。もっと若い世代、とくに女性にとって魅力ある農業を、ホト・アグリでつくって行きたい。農業がローテクでもハイテクでもなく、その中間にあるような産業になったらいいなと思います。
 子育ても仕事も、時間をかけてコツコツ育ててかなきゃいけないもの。自分が学んだこと、感じたことを、実行に移さなきゃ意味がない点も両者に通じている点です。子育てしているから会社の運営もうまくいくだろうし、その逆もしかりだと思うんです。
ときどき振り返って思うのは、子供の頃からの夢だった青年海外協力隊に落ちたことで、自分の人生はこういう展開になったんだよなということです。あのとき落ち込んでいた自分にはとても想像もできなかったことですが、今の自分は幸せだと、心から思います。

取材日:2010.11



静岡県磐田市生まれ 浜松市在住


【 略 歴 】

2001東京農業大学農学部卒業
株式会社浜松ホトニクス入社
2005光産業創生大学院大学入学
株式会社ホト・アグリ設立
2006ホト・アグリの岩井農場を開設
2008「リッチリーフ」が「しずぎん@gricom(アグリコム)」で優秀賞を受賞
2009光産業創生大学院大学博士課程を修了
2009認定農業者を取得
2010農商工連携全国ベストプラクティス30に選定される

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