さくや姫プロジェクト|トップページ

本サイトは、平成22年・23年の作成当時の内容です。

市民協働で立ち上げた子育てサイトをベースに、
住みやすいまちづくりを目指すワーキングママ。

原田博子(はらだ・ひろこ)

原田博子(はらだ・ひろこ)



NPO法人はままつ子育てネットワークぴっぴ 理事長


- WEBサイト -

浜松市子育て情報サイトぴっぴ

行政と一緒につくる市民のための子育てサイト

 私たちの活動は大きく2つあります。1つは地域の子育て情報を発信する「子育て情報サイトぴっぴ」の運営。もう1つは子育てやまちづくりに関する講座、講演、研修を実施して、市民の生の声を聞く活動。前者がネット上のバーチャルであるのに対し、後者はフェイス・トゥ・フェイスの活動です。子育てという切り口から、住みやすいまちづくりを目指すのが大きな目標です。
 現在はNPO法人として活動していますが、そもそもの始まりは2004年。当時、私が所属していたNPO法人にも「子育てサイトの立ち上げを市民協働で進めたい」という話が浜松市からあり、コンペに名乗りを上げたことがきっかけです。コンペのプレゼンテーションでプロジェクトリーダーを務めさせてもらったことが、今の「はままつ子育てネットワークぴっぴ」の活動につながっています。
 これまでの子育てサイトは行政主導でしたが、「ぴっぴ」は市民協働の取り組みです。おそらく全国初の画期的なサイトだと思いますね。たとえば「ぴっぴ」のサイトでは、「堅苦しいお役所言葉では、子育てに忙しいお母さんに伝わらない」ということで、行政用語はすべてわかりやすい普通の表現に直しています。私たちが目指す情報発信は、子育て中のお母さん・お父さんの立場に立った「当事者目線」なんです。
 行政発の情報から行政用語を排除するという「偉業」を成し得たのは、一緒にサイトを立ち上げた市の担当職員の方の功績も大きいです。彼らもちょうど子育て真っ只中のお父さん・お母さんだったんですね。それで日々の実感として、私たちが言う「当事者目線」の重要性をわかってもらえました。
 もちろん、ものすごく議論しました。文章表現、言葉の選び方、イラスト……1つひとつ議論し合った末に、今のサイトがあるんです。実際、行政サイドで市民協働が理解されず、その都度、若い担当者に「市民のための当事者目線がサイトの方針ですから」と頑張っていただき、私たちの意向を通してもらいました。口先だけの市民協働じゃないんですね。

「当事者目線」というコンセプトは守り続ける

 市民協働で最大のメリットは情報交換です。でも一線というのはきっちりあります。よく誤解されるのですが、いわゆる「なあなあ」みたいに、お願いすれば何でもやってもらえるということはありません。そうではなく、私たちのニーズを市民の生の声として聞いてもらい、行政として何ができるかその領域を示してもらい、カバーしきれない部分は民間ベースで補う。市民協働の良さはそこです。サイトのあちこちに「先輩ママのアドバイス」というコメントがありますが、これは行政発信が難しい情報でも「先輩ママ」ならOKというのも工夫の1つです。
 ときとして「これは行政のサイトではありませんから」と、私たちの意向を通すために強硬姿勢で臨むこともあります。通常、行政のサイトでは一語一句変えるだけでも上司の了承が必要で、決済までに1週間かかることもあるんです。でも「ぴっぴ」の場合、数時間、ときには電話1本で変更できます。市民にとって使い勝手のいい「当事者目線」は、どうしても譲れませんから、生意気と言われそうですが、その辺は絶対に変えられないんです。 そうやって市民協働で築いてきた「当事者目線」も、行政サイドの担当者が変わることで崩れそうになることもあります。なかには「これは行政が発信している部分もあるのだから、こちらの方針でないと困る」という担当者もいました。そんなときは担当課を交えて根気よく話し合います。年に1度、「ぴっぴ」関係各課のウエブ担当者を対象にした市民協働講座を開いてもらったり、最近は私たちが講座を企画・主催したり、市民協働による「当事者目線」を守る努力は惜しまず行っています。

子育てからはじめる住みやすいまちづくり

「ぴっぴ」のサイトでいちばん人気は、「子連れでおでかけ」のコーナーです。これはライターさんではなく、普通のお母さん10数人が交替制で書いています。ちょっと遊びに行ったついでに書くというスタイルですね。しかしこれは単なる情報発信ではなく、隠れたねらいとしては、子育てが一段落したお母さんたちができるだけ早く社会復帰できるステップとして活用してほしいという意図あるんです。取材ママの交流会では、取材の仕方や写真の撮り方を学んでもらいます。子育てに追われていると、どうしても社会離れしてしまうので、こういう場で自信をつけてもらいたい。
 2006年から「子どもを守る防災ワークショップ」を保護者対象に始め、その後、子供が楽しく学べる防災ワークプログラム「ぼうさいぴっぴ」を実施したり、地域の防災にも力をいれています。静岡は東海地震に備えて防災訓練が盛んな地域です。防災訓練のいいところは、近所どうし顔見知りになりやすいこと。普段からご近所の人たちと顔見知りになっておけば、いざというときには助け合えます。「あんな人いたっけ?」ということにならないための地域づくり活動ですね。ご近所が顔見知りなると、お互いの目が行き交いますから、虐待防止という効果も期待できるでしょう。
 また、今年始めた取り組みに、「女性特有がん検診受診率向上プロジェクト」があります。最近、私の周囲でも、乳がんや子宮頚がんであることがわかったとき、すでに手遅れだったという話をよく聞きます。定期的に検診を受けていれば早期発見が可能なわけですが、子育てに忙しいとどうしても子供優先になって、お母さん自身の健康は二の次になりがちです。子どもを預けて検診を受けられるしくみを考えたいと思っていたときに、医療政策機構の助成金がいただけることになり、検診啓発のための講座を実施したり、専用サイトを立ち上げ検診できる病院情報を掲載しています。このプロジェクトのおかげで、ヘアサプライぴあの佐藤真琴さんやがんの専門医の方々など医療関係のネットワークができまして、「ぴっぴ」の輪は「子育て」以外にも広がりつつあります。
「ぴっぴ」は子育て情報の発信という目的で始まりましたが、気がついてみれば、子育て世代以外のサポーターもいっぱいいるんですね。去年ぐらいからわかってきたことなんですが、入口は「子育て」でも、私たちが目指しているのは結局「住みやすいまちづくり」なんだということ。防災にしてもがん検診のプロモーションにしても、お金にはならない事業ですが必要なのは確かでして、欠けている部分に目を向けない限り、地域全体として住みやすさがもたらされる循環は生まれてきません。

周囲の期待の低さが目標達成とエネルギーに

 私がこうして「『ぴっぴ』をやるぞ!」と一念発起したのは、2006年にNPO法人化したときです。というのは法人化したとき、「1年でつぶれても仕方ないよ。そのときはそのときだから」と、NPOの仲間が口々に慰めてくれたんですね。「設立したばっかりなのに、どうしてそんなこと言うの?」と思いましたが、きっと私が頼りなかったのでしょうね。今考えてみると、それは周囲のやさしさだったのかもしれません。
 しかし当時の私は、そんな期待の低さゆえに、逆に燃えてしまった(笑)。何とかしてNPOとしての認知度を高めて、活動を継続させなきゃいけない。それには実績の積み上げしかない――そう思っていたとき、もの絶妙なタイミングで「日経地域情報化大賞日経新聞社賞」をいただいたんですね。「これだ!」と思いまして、その後も2007年の「しずおか子育て未来大賞・ふれあい子育て応援部門・奨励賞」、2009年の総務省「u-Japanベストプラクティス2009」など、今のところ毎年必ず1つ賞をいただいています。
 最初はNPOとしての存在意義を周囲に認知してもらいたくて、毎年の受賞を目標に据えたのですが、今はスタッフのモチベーションにもつながっています。 今だから言えることでしょうけれど、一緒に活動してきた行政の方たちも最近、「こんなに長く続くとは思いませんでした」とおっしゃられて……(笑)。当時は「NPOが設立できて良かったですね」なんて言って下さったのに、結局、私以外、誰もうまくいくと思っていなかったみたいですね。

悶々とした専業主婦時代を経て活発なママに変身

 私は結婚するまで、大阪で研究機関の臨床検査技師をしていました。妊娠したと同時に夫が転勤になり大分に引っ越したのですが、住んでいた場所がたまたま高齢者の多いエリアで、見ず知らずの土地で友達もできず、一時は育児ノイローゼになりそうなくらい暗い気持ちで毎日を過ごしていたんです。子供が2歳半のとき、今度は夫が浜松勤務となり「引っ越したらきっと友達を作ろう」と心に誓いました。
 大分での日々が本当につらかったので、浜松ではママ友をつくるべく、自分から積極的に話しかけるように心がけたり、子育てサークルに出かけたり。私はもともとおせっかい好きで、社交的なんです。
 浜松に来たら仕事もしたいと思っていました。でも、子供がいたことがネックで……。あの頃の浜松は待機児童が多くて、すぐに保育園に入れない。もう1人子供も欲しかったので、とりあえず2人目を産んでから考えることにしました。転勤族の多いマンションに住んでいたので、公園の砂場がお母さんたちの交流の場で、「子供がいると再就職は難しい」という話もよく聞きました。でも、私はとにかく「何かしたい」という気持ちがあって、キャリアカウンセラーの資格をとったこともあります。自分のように働きたくても働けない女性の支援ができたらいいなと思ったんですね。
「何かしたい」と思い、情報を求めて市内の公民館や保健所を回っているうちに、「プロポジション」のメンバーと顔見知りになりました。「プロポジション」はその名のとおり、市民のニーズや要望を行政に「提案」をする市民活動団体です。「1度、来てみる?」と誘ってくれたのがきっかけで、私も会合に参加するようになりました。当時の私は「この人たち、すごいな」とか「そんなこと考えているんだ」と、完全に傍観者的な立場で、まさかその後、自分が現在のような活動をするとは思っていませんでした。でも「プロポジション」に関わったことで、NPO法人「アクション・シニア・タンク」のお手伝いをさせていただくようになり、それが「ぴっぴ」につながる大きな転機になりました。

その気にさえなれば誰にでもチャンスはある

「ぴっぴ」のスタッフには現在、「このサイトにとてもお世話になったので、自分も何か恩返しがしたい」というお母さんがいます。とても嬉しいですね。そんな世代ができちゃったかと思うと「あぁ、年とったな」と思うんですけれど(笑)。
 私は大分にいたときも、浜松に来てからも、ずっと「結婚して子供ができても何かやりたい」と思い続けてきました。その気持ちは一貫しているんです。むしろ悶々とした空白の時期があったからこそ、「きっといつか」という思いが高まったのだと思います。多分、私は鈍いんだろうと思うんです。どうしていいかわからないながらも、諦めきれない。というか、諦める決断ができない。
 その一方で、最後までちゃんとやらないとなという変な真面目さがあって、「一度やるって言っちゃったんだから、挫折したくないよな」と。でも心のどこかには「こんなこと手出すんじゃなかったな」っていう気持ちもあるんです。「困ったな」と思っていると、そのうち「仕方ないな」と周囲から救いの手が伸びる――。「ぴっぴ」に関わり始めてから現在に至るまで、私はそんなふうに困難を乗り越えてきたように思います。 私は肩書きこそ「理事長」ですが、いわゆるリーダータイプではありません。自分に全然自信ないですし、スタッフには怒られていますし、劣等感のかたまりですし、どこにでもいる普通の人間です。でも、だからこそ市民の生の声や本音が聞けるんですよね。
 よく男性は「主婦って気楽でいいね」なんていいますけれど、お母さんの仕事って、時間の配分とかマネジメントとか、すごく高い能力が発揮されていると思うんです。子供の世話しながらご飯つくったり、結構、1日を通して時間に追われている。仕事をしてる人はなおさらです。専業主婦の中にも、すごい才能の持ち主はいっぱいいます。そういう人材を使わない手はないと思っています。「ぴっぴ」の活動を支えてくれているのは、いろんな能力をもった女性たちが中心です。
 NPOに限らず、人とつながっていくってことはいいものだなと思います。人とのつながりがいちばんの宝というか、周囲の人たちの存在があってこそ私もやっていけている。お世話になるばかりでなく、自分も何か手伝わせていただきたい。
「ぴっぴ」の活動は私でなくてもできるということです。たまたま私だったというだけで、その気になって、ちょっと頑張れば誰でもできます。「何かしたい」と思いながら、どうすることもできない主婦やお母さんたちに申し上げたいのは、とにかく諦めないで、自分の興味のあること、楽しいと思うことから手をつけてみてほしいということです。私でもできたのだから、きっとあなたにもできるはずです。

取材日:2010.11



愛知県生まれ 静岡県浜松市在住


【 略 歴 】

1997任意団体「プロポジション」の活動に参加
2000NPO法人「アクション・シニア・タンク」に勤務
2004任意団体「浜松子育てネットワークpippi」設立
2006NPO法人「はままつ子育てネットワークぴっぴ」理事長に就任
2008静岡県男女共同参画社会づくり活動に関する知事褒賞
2010静岡県子育て支援NPO法人立ち上げアドバイザー

一覧に戻る(TOPへ)