いつの間にか寿司作りがいちばん好きに
家は寿司屋を営んでいたので、子供のころから皿洗いなどの手伝いをしていましたが、「男の子がいないから、あんたが継ぐんだよ」と祖母に言われて、「絶対いやだ」と東京に飛び出しました。ところが、好きなのですね、もの作りが。1999年、実家の魚竹寿司の社員になりました。
いままで経験してきた仕事のノウハウが、いまの仕事に生かされていますね。店の内容をお客様に伝えるチラシとか写真の撮り方は広告会社時代の知識が、店のつくりも設計会社で見てきたものが。また、ホールマネージャーとして店舗での接客指導をしていたことも、大いに役に立っています。
店内のインテリアを和風に統一したら、お寿司自体の彩りやメニューを作りたくなり、写真を撮って新しいメニューの値段表記をしていたら、寿司を作りたくなりました。ところが、魚の名前がわからない。お客様に「この魚なに?」と聞かれても即答できないもどかしさがあって、勉強しました。すると今度は、魚をおろしたくなる。小アジからおろし始めたらおろすのが楽しくなり、にぎってみたいなって。次へ次へとやっていったら、寿司を作ることがいちばん楽しいものになっていました。
私は30歳で寿司の世界に入りました。スタートが遅かったので、スパートをかけて全力で精進しています。
うちのアナゴは天下一品
寿司職人が女だということに、ほとんどの人は好意的です。ただ、なかには考えの古い人がいるのですね。そういう人にはぜひ食べにきてもらいたい。男と女の差はないと思います。私は体毛をそっています。化粧もしません。すごく気を遣っています。つねに清潔を心がけています。男の人だったらいわれないことでしょうにね。
寿司文化は残さないといけない。私は寿司文化を残す役割を与えられたと思っています。女性だから注目されていますので、知識・技術の面で勉強をしています。男性寿司職人なら取材も少ないかもしれませんが、女性の寿司職人には様々な方が取材にきます。寿司文化をわかってもらうために、それを活用している部分もありますが、女性寿司職人であることに、誇りをもっています。江戸時代は女性が寿司をにぎっていたといいますよ。
うちは、江戸前寿司にこだわっています。生魚を乗せたお寿司だけではなく、酢でしめたコハダやサバ、火を通した煮アナゴや蒸しエビなど手間ひまかけています。それがなかなか伝わらないのが、もどかしいですね。
スーパーやコンビニでもお寿司を売るようになり、お寿司の選択肢が増えたいま、他の寿司屋との差別化をしないといけなくなりました。では、自慢になるお寿司は何かと考えたとき、うちにとっては江戸前のアナゴなのです。これだったら、絶対に負けない自信があります。お寿司も江戸前の技法をいろいろな文献を見ながら再現したり、味も正統派で「東京でも食べられない味だ」といわれるほど、きちんとした仕事をしています。アナゴの味はうちだけの味。私が作っています。楽しいですよ。
お子様カウンターデビューを!
「子供が騒ぐから寿司を食べにいけない」というお父さんやお母さんがいます。そうではなく、私は子供のうちから本物を食べてもらいたいのです。値段を心配しないで食べてもらいたいのです。だから、お子さんが「カウンターで食べたい」といったときには、私がいたらどうぞ座って、お子様カウンターデビューをしてください。予約制でやっています。わざわざ東京から毎月のように来る人もいますよ。
カウンターに座って自分が食べたいものを食べたら、子供は喜びますよ。ふだんは食べない魚も食べますね。お寿司はすぐ食べられるものではない、すごく手間ひまかかっているということを教えたいです。
寿司職人のだいご味は、お寿司を出したとき、「おいしい」と喜んでくれる反応がダイレクトに伝わること。また、添えについた笹切りを見てお客さんがワッと驚くときですね。笹切りは江戸前寿司に欠かせないもので、皿にあるだけでお寿司がパーッと生きてきます。笹を半分に折り、シンメトリーに鶴や蝶など切っていきますが、これによって包丁の扱い方・研ぎ方・切り方の勉強になりますね。
調理すべてを人の手で作るのは、多分寿司だけです。素手の勝負です。すごいことでしょう。手加減ひとつで味が違います。私がにぎる寿司は、ホロホロと口の中でとけない寿司です。「硬い」といわれますが、かんで寿司を食べたという食感がほしいのです。最後にキュッとひとにぎりするのが、私の寿司の味です。
10年後も、いまと変わらず江戸前寿司を作りつづけていると思います。地道に技術を身につけ、お寿司をにぎっていたいです。
取材日:2010.11